小崎氏のアントノフレポート(1998年チェコより)

目次(クリックした日付の手記へジャンプします)

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

8月8日
ちょうど東の空が赤く輝き初めてその中をまっすぐな飛行機雲が2本太陽の真ん中から抜けてきました。
日本は間もなく1時になるところですね。
7月25日から昨日までは準備、今日から本当の旅が始まります。実際、かなり危険はあると思いますが、準備してくれた、みなさんとアントノフに乗りたい子供たちのためになんとか、無事に日本まで回航したいと思います。
昨日、日・ロ対抗腕相撲大会で僕が勝ち「ロシア製コカコーラ」を手にしました。「日本勝った、日本勝った、ロシア負けた。支那のチャンチャンコは毛が長い、日本人は桜色・・・・・・・」
まあ、ロマヤンとは、同じ飛行機馬鹿で仲良くやれそうです。規定で「上空では撮影禁止ということだから、カメラをロックするために南京錠を買ったよというと、片目をつぶって僕はなにも見ないよ」と言ってくれました。だから、みなさんにもすばらしい、低空からのシベリアの自然をお見せできるかも知れません。
期待せずに待ってください。
たとえシベリアに不時着しても「異国の丘」を越えて日本にもどります。
では、あえる日まで
(もちろん、メールが送れるところからは送るよ)

8月7日
今日はメールが送れないほど忙しい。
やっとガソリンの漏れが止まったと思ったらもっと大きな漏れが見つかったのだ。
もうだめか!
捨てる神あれば拾う神あり、再び突貫工事でお馬さんのお世話になったら奇跡的に漏れはピタリと止まった。
あわてて、ChebのAlexのオフィス(といっても運送用のコンテナを改造したもの)を掃除し、お世話になったABASの人たちに挨拶をした。午後6時30分、Cheb発、明日出発する、Karlovy Valyに向かう。
すでに、エアロフロート機が止まっている。
アントノフが駐機場に止まってチョークをかけていると、Alexともう一人の男が歩いて来る。うん、ロシア人の顔をしている。ロマネンコ・ユーリー(どちらがファーストネームかはわからない)だ。
本当にエスコートが来た。ロマヤンは僕らより1才若い美しいブルーの目をした、やさしそうな男だった。挨拶をすると、なかなか英語もうまい。これなら、安心。
本当に明日出発できるんだという実感が湧いてきた。
ちょっと面白いことに気が付いた。エアロフロート機はB737−400なのだ。TUではない。登録を良く見るとケイマン諸島になっている。737のリース機なのだ。ロシアの航空機産業の落陽を感じさせる光景だった。
皮肉なことに空港の建物の外には「ユーリー・ガガーリン」の銅像があった。
今、やっと戻ってきてメールを書いているが、ほかの奴等はすぐ、ピーボをのみに行った。
僕も早く飲みたい。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

8月7日
8時半、Pavlaの車をかりて大将とChebへ出発。僕は増槽タンクの取り付け、大将は燃料ホース探し。
佐藤氏は領事館へビザをもらいに・・・・・・
Alexは最後のペーパーワーク。
それぞれ本当に最後の追い込みです。
昼前、佐藤氏がChebに到着、びざはOK。大将もホールを見つけてきた。僕は、バッテリがほとんど落ちた電気ドリルで予備穴を開け、ドライバーで木ネジ締め。こんなに手のひらが痛くなるほどドライバーを握ったのは探検部時代に舞鶴でヨットを作った時以来や。ビットがあってバッテリーがしっかりとったら、わけもないことやのに、でもハンドドリルを回さんでええだけでもよろこばなあかんなあ。
やっと取り付け金具を取り付けて操縦席後ろの両側にセット。
意外に安定している。次は配管、物が無いので水道用のバルブを工夫してとりつけ強化繊維入りのホースをつなぎ、ホースバンドでしめる。大将が前に太平洋横断にこのタンクを使った時にはシールにテフロンテープを使ったら少し溶けていたというので今回はシール用のグリースを使って継ぎ手をしめた。
さて、チェックも終り、メインコックを切り替えて翼の中のメインタンクから予備タンクにAVGASを転送。ゲージの代わりに取り付けた
エア抜きホースの中のレベルがどんどん上がっていく。うん、まずはOKということになり30分ほどそのまま置いた。
戻ってみると、なんと、左側切り替えコックの下ににじみがあるではないか。ヤバイ、ヤバイ。増し締めしても止まらない。其のうち右のほうもガソリンがにじんできた。もう時間が無い。明日は飛べないのだろうか。そんな不安がよぎった。しかし、継ぎ手を全てバラし、馬の毛を締口にまいて再度しめる。1時間そのままおいたが、もうにじみはなかった。
それでは、本当に予備のタンクから燃料が供給されるかどうかエンジンを回してみる。OKだった。
これで、一安心。
と思ったら、荷物の積み込み中にコックからメインバルブに流れる元から大きな漏れを発見。
これで、万事休すか!

8月6日
大将が高木さんに電話したら佐藤氏は無事に乗れたらしい。よかった。
7時半、pavlaの車でカルロビバリ空港へ。ここでは出国の手続きをする。入国カードには滞在を7日と書いてある。来たときはすぐ出発するつもりだったからだが、実際にはもう今日でも13日だ。入管のおばちゃんに弁解したが、あまり気にしてないようだったので一安心。2月に来たときに6ヶ月のマルチビザをもらっているので8月16日までなら1回、30日までは滞在できるのだ。
燃料1056L補給。Alexと2人でプロペラ回しをやった。アントノフは星型エンジンの構造上の問題で排気管の中にオイルがたまるからペラを空転させて溜まったオイルを排出する必要があるのだ。コンプレッションがかかるところは回す時にかなり力がいる。
天気がいいので各飛行場で写真を撮っていくことにした。
大将・Alex・僕の3人は8時40分OKKV(KarloyyVary)を出発。自分のGPSで現在位置を確認しながら国境を越える。41M(30分)でEDQM(Hof)到着。ここはAlexがヘリ基地にしているところだ。
Alexはここでヘリコプターに乗り換える。アントノフの方にはここからは僕がコパイ席に座る。
EDQMから132Mの飛行だが途中、右手にフランクフルトの町を見ながら1時間半でEDFH(Hahn)到着。
Alexのヘリは150kt、アントノフは100ktだから先に着いたAlexは昼食用にピザを買って待っていた。 
ここでは、Alexを拾っただけですぐ出発。EDFHから150M(2時間)でEDDN(Nurnberg)に到着。
すぐに、タンクが運ばれてきた。梱包を開くと、何年も使わずに置いてあったとは思えないほどきれいに掃除がしてあった。送ってくれた永久さん有り難う。わりあい簡単に積み込みが完了した。
操縦席寄りの左右に置いたので真ん中が一人が通れるぐらいの幅しかなくなった。
EDFHから83M(1時間)ででLKKVに戻れた。その間僕は写真の整理とメールの用意をしていた。
さらにLKKV(KarlovyVary)から21M(15分)でOKG(Cheb)到着。今日の飛行は447Mだった。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

8月5日 晴れ後曇り
5時起床。PCを起こしてメールのチェック。大将に怒鳴られながら、こちらの要求に走り回っているタヌキ氏と事務局の2人に頭が下がるよ。
スケジュールを印刷しようとAlexのプリンターのドライバーをインストールしたが文字化け。同じW95でも英語版と日本語版は互換性がないのかなあ。日本語版の方が上位だと思うけど。
そういえば、Wardも日本語と英語版の互換性がなかったよね。なんか、方法がないのかなあ。
佐藤氏はまだ、6日の予約がとれないらしい。
AlexにChebまで送ってもらった。まず、バッテリーをチェック。1個は28.5VありOK。2つめの充電にかかる。
1ヶ月前に新品で$800もだして買ったというが、きっと何年も倉庫の中で寝ていたんだろう。
2回目のメールを送った後、ツナギに着替えてアントノフの窓ガラス拭きを始めた。コクピットの高さは約3.5m大きな脚立を使ってやっと届く高さだ。
ここは田舎だからウインドスクリーンに虫が一杯付いている。それを台所用の洗剤とスポンジと少量の水をつかって洗っていく。コックピットに自分が座ると前が汚かったら気持ちが悪いものだ。
内側からも丹念に拭いていく。終わったらキャビンの丸窓も同じように拭く。
「パイロットと言って威張るんなら、整備も掃除も自分でしてみい」これが大将の口癖だ。
「エアラインのパイロットで一番大事な燃料の搭載確認を自分でタンクに指を突っ込んでやったことがある奴がおるやろか。」これも大将の口癖。つまり大将は、エアラインのパイロットよりプライベートパイロットのほうが知識も技術もあり偉いんだと言いたいのだ。
右下翼に乗って拭いていると、排気管がこちら側にあるのでオイルで汚れていて滑りやすい。
滑って、もう少しのところでキャンバス張りの翼を破りかけた。ヤバイヤバイ。ついでに胴体も掃除する。黒ずんでいたところが鮮やかな赤に蘇った。
僕が着ているツナギはJALの訓練所に教官からもらったものだ。質がいいからみんなが手に入れようと狙っている。やっぱり、一番世話になった人に置いていかなあかんやろなあ。そんなら、高橋ハン、どこかから横流ししてな。
燃料の配管が終わらないのでまだ、ニュールンベルグには行けない。腹が減ったので例によって非常食を食う。水もなくなってきたので、アントノフに搭載してある非常用の水をとってきた。僕は五目飯、大将はすき焼き丼。それに玄米茶をつけた。
大将のところに、モスクワのエアロフロートから電話があった。日本大使館がガタガタ言うので圧力をかけるらしい。
ほんとうは、国際協定でクルーはビザなしで通過できるのだ。日本の木っ端役人は事勿れ主義やから、経験が無いことはやりたがらない。自分が勉強不足のくせに。
2こともバッテリーのチャージは終わったがタンクの搭載準備はまだ終わらない。出発は午後6時ごろになりそう。そしたら、Karlovy Vary泊りや。
出発も近くなったし、洗濯でもしようかな。自慢じゃないが日本を出てから、着替えたものは、Gパン1着、Tシャツ2枚スポーツシャツ1枚、靴下2足。Tシャツ2枚はホテルで洗濯した。だから、今Gパン1着と靴下2足、スポーツシャツ1枚洗っておけばもう日本まで洗う必要はないのである。

8月5日
今日は、なぜ僕がチェコくんだりでバタバタしているのかということと登場人物を紹介しまひょ。
話は、今年3月から4月にかけて、ある番組の取材でこのアントノフに乗ってフランスのパリから北アフリカのモロッコを越えて西サハラまで旅をしたところから始まった。このアントノフはそんなに古い機体ではないが、なんと、あの零戦と同じ星型エンジンを持つの複葉機。
「星の王子さま」を書いた作家サン・テグジュペリがかつてフランス・ラテコール社の郵便機のパイロットをしていたルートを辿ってみよう。
そのためには、絶対ジェット機ではだめ、それも複葉機でなきゃ。ということで選んだのだが、なぜかチェコ国籍のその飛行機であった。
ところがその飛行機は日本人の飛行中年の所有機であった。
この旅に感動した番組の出演者は「これは面白かった、だから日本の子供たちにも同じような体験をさせたいから、日本まで持ってこれないか」
というのだ。
それを「よっしゃ」と引き受けたのがアメリカ・カリフォルニアのチノ飛行場で飛行学校の教官をしている、柳田一昭氏、(尊称は大将)残りのクルーはドイツ国境に近いチェコのKarlvy Varyに住んでいるアメリカ人=アレックス・ボール、通称アレッ糞(本職、ドイツの銀行のビジネス機・ヘリのお抱えパイロット)それと佐藤亨氏。通称髭ゴジラ、彼は3年前、アクロバット機で墜落し、同乗者は死亡したものの本人は奇跡的に一命を取り止めたのだ。
(本人の名誉のために言っておくが、墜落時に操縦していたのは死亡した事業用免許を持つベテランパイロットであった。)
それと、まだヒヨコパイロットの小崎である。飛行機の操縦を初めて30年以上経つのだが、ブランクの期間が長く、飛行時間は短い。
ワテをふくめて3人は全員、大将に飛行術をならった弟子である。
3人は大将の心意気に感動し、また自身の冒険心に抗しきれず仕事を捨てて馳せ参じたのだ。
そんなわけで、アントノフがチェコから日本に来ることになったのだが、ルートが決まるまで二転三転四転五転があったが、結局一番短くて安全なシベリアルートに決まった。(それは先週の金曜日であった)
冷戦時代と違い、今ではどんな飛行機でも通過料さえはらえばロシア上空を飛行する事ができるが、それは大型のジェット機だけ。
小型の飛行機は低空をゆっくりと飛ぶので重要な機密が漏れるおそれがあるということで、全行程をエスコート(船で言うと水先案内人)が同行することを要求されるのだ。
今回のエスコート・その名は、ユーリー・ロマネンコ。彼もまた、冒険ずきのヒコー機野郎だ。
そして、この飛行は彼にとっては絶好の稼ぎどきでもあるのだ。彼への報酬は協定で決まっている。1日US$500、そして帰りはファーストクラスだ。
ジェット機ならたった一日のところをわがアントノフなら10日もかかる。ということは、1回で10倍も稼げるということになる。
それも、リトアニアからでいいというのにわざわざ、出発地のチェコの大保養地、カルロビ・バリまで来るという物好きさ(日本人には特別の歴史的経緯があってリトアニアにはビザ無しで簡単に行けるけどつい最近ロシアから独立したところで対ロ感情は良くないという理由をこじつけて。でもやさしい大将はあいつもどうせ行くのなら初めから最後までこの歴史的飛行に参加したい飛行機馬鹿やろ、と納得)
また、小型機で大陸を横断するということはヨットで大洋を横断するよりも何倍も危険だ。そんな危険をものともせず、飛行機馬鹿5人組みは日本に向け出発するのだ。
さて、Alexにはチェコ人のガールフレンドがいる。名前はPavla職業は看護婦。どういう経緯で知り合ったかは、おいおい聞いていくことにしよう。
8月8日にチェコのカルロビ・バリーを出発し、リトアニアのカウナスで1泊してモスクワに9日着。その後もシベリア上空を飛び続け、17日に札幌に
到着する予定。(下手をすると吉田正の「異国の丘」になる)
そして迎える日本側には同じく、大将の弟子のタヌキの高木基綱。
通常なら月のうち前半をチノで過ごし、後半は死にもの狂いで働く5人と同じく飛行機馬鹿である。
それを支える美人2人組。藤岡久子さんと大崎美奈子さん。藤岡さんは、3年前、番組の一番最初の企画から参加しており行きがかり上、しかたなしに事務局の仕事を請け負った敏腕イベント・クリエーター。
大崎さんは5年間子供番組のキャスターをしていたが今は、某制作会社のAD、藤岡女史を姉御と慕う。
そのほか、山形には全出張は自家用機でこなすコンピューター屋池田広明、ホームページ担当。
それに、もう1人。事務局長だが、7月始めに大将と対立して切れてしまい表からは姿を隠して裏で支援してくれるドラエモンこと武田好克。
その他、坂口洋一氏など国内で子供を集めて体験搭乗をさせる準備を担当する大将の弟子多数。
途中、回線がつながるところからはずっとこのリポートを送り続ける積もりである。
是非、御声援を!
もし、どうしてもアントノフに乗ってみたいという人がおったら遠慮無しに言うておくんなはれ。本当は小学生だけやけどなんとかしまっさ。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

8月4日快晴
4日快晴のち曇り
5時からメール作業。6時にシャワーを浴びる。Alexが起きてきてコーヒーをいれてくれる。忙しい1日がまた始まった。
朝から電話、電話、電話とかけまくった。結局ロマヤンのビザをモスクワでとるためにはやっぱり、東京で外務省に書類を提出しなければならないのだ。金曜日から言っているのに。
また、大将が電話で怒鳴りまくり、近所の人がビックリして飛び出してきた。
ロシア領事館は12時の約束なので11時20分頃、家を出る。駐車場までの積もりが、結局、Pavlaは領事館までついてきてくれた。
パスポートと写真と書類を出すと、30分でビザが出てきた。パスポートとは別の紙に写真が2枚はってあるのがロシアのビザだった。
ついでにゴジラの佐藤氏が金曜日に持ってきたらその日に作ってくれないかと頼んだらOKという。早速一日早く、16日中に来るように連絡を取らなければ。
今日は、領事館の帰りは歩いた。今城君が教えてくれた13番目の温泉に行こうと思ったがPavlaには遠いから、「今度にしたら」と言われた。
写真を撮りながら歩いていた。気がついたら、レンズの外側のリングが無くなっている。こんなに簡単に無くなるのは製造ミスや。
帰ったら文句を言うぞ。PL法はカバーしてくれるやろか、矢野君。
昨日通った道をまた歩いて車まで戻った。それから、アントノフを駐機してあるChebに行くために電車の駅に連れていってもらおうと思ったが、
結局Chebまで、送ってくれた。
大将は、予備タンクの配管、僕は無線機の改修をすることになった。無線機の方は、まずバラして、デジタル基盤をはずして、5個所ダイオードをはずすことになっている。外板をはずした後、発振器のカバーをはずすと、基盤が見える。一回り小さなデジタル基盤はすぐ見つかった。
ビスを2本はずした後、3本のフラットケーブルを抜く。あとはボックス型のコネクター2つだけで固定されているので、ゆっくりと動かすと外れた。
ハンダ鏝を暖め、その間にニッパーとピンセットを用意する。ピンセットは見つからなかったので、毛抜きを使うことにした。
暖まったのでD1の片足から慎重にはずしていく。3分ほどでD5まで全部とれた。しかし、バックアップのためにはずした5つのダイオードは全て保存することにした。
アントノフに持っていって、電源をつないでみた。一番必要な3〜6MHZぐらいでの送信テストはOKだった。
もどって、スケジュールを作っているとモスクワの日本大使館から電話がかかった。ロマヤンのビザの件だった。1時間以内にモスクワの大使館宛てに書類をFaxで送れば金曜日にビザを出すというのだ。あわててまた東京に連絡をとる。金曜日に外務省に行くようにと事務局に指示していたのに。
まあ、最悪9日にモスクワに入ったときにもらえばええわ。
少し腹が減ったので飯を食うことにした。カレーにしようかと思ったが「ひ素入りカレー事件」があったというので、関係ないけどやめて牛飯にした。
つなぎさえすればインターネットニュースで勝手にニュースも入って来る。時代は変わったなあ。
大将は、ないないと騒いでいた、燃料の配管に車のラジエーター用のホースが使えるからといって買いに行った。
戻ってきたら、もう一度送信テストをした。送信ボタンをおして変調をかけるとバッテリーがバシャッと音を立てて落ちた。あかん、バッテリーがダウンや。電圧を測ってみたら、24Vのはずが1つは20Vもう1つは14Vしかなかった。仕方ないのではずして充電や。電源の配線は僕がやったんと違うからわからんけど、どこかでショートしてる可能性もあるなあ。
またまた問題発生や。
あーあ、どないしよう。
とりあえずは充電や。
Alexは22時ごろにしか来ないというので、また飯を食うことにした。今度は大将は山菜飯、僕はドライカレー。これならひ素は入っとらんやろ。
それに、フカヒレスープも付けた。出発せんうちに非常食が無うなってしまう・・・
Alexから喜びの電話が入った。ボスがアントノフで日本へ行く許可をくれたというのだ。
30分ほどでAlexが来た。車で帰と宅。祝杯をあげるというが僕は眠いのでねた。(2回のAlexのコンピュータ室で。今日はPavlaが枕とマットを用意してくれていた)

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

8月3日(曇)
5時に起きて事務局との連絡を開始。6時にはAlexも起きてきてコーヒーをいれる。さすが、アメリカ人。
僕に「シャワーに入れ」というのでしかたなしに1階のシャワー室に行く。そしたら、「違う、地下だ」といわれた。合計3つもシャワールームがあるのだ。
地下、1階、2階の3フロアで300平方mはあるだろう。チェコ人の平均月収がUS$400程度。 Pavlaのところはもう少し上かもしれないが、GNPでは計りきれない豊かさを感じるのは僕だけではないだろう。
Alexも朝から電話し続けていたが、ロシア領事館と連絡がとれた。ビザを発給できろから来いというのだ。
全員小躍りして喜んだ。まず、時間がかかるプラハに行かずにすんだことと、KarlovyVaryならちょっと暇そうだからだ。
8時半に車で町へ。駐車場に車を止めた。チケット制で1時間10kr。タクシーで領事館へ向かう。この当たりは、規制区域になっており、一般車は入れないのだ。
良い制度だ。大阪や、東京でもやってほしいよ。
恐る恐る、呼び鈴を押す。あっけないぐらい簡単に中に入れてくれた。セキュリティーはないも同然。アメリカ大使館の万全の警備に比べたら月とスッポン、いや冥王星とクサガメぐらいの違いだ。
とにかく、中に入ったら書記官が対応してくれた。すごくやさしい人だ。多分ロシアm地方出身のひとだろう。ロシア人とは思えない。あのふてぶてしい東京のロシア大使館とはダンチなのだ。
結局、「何が欲しいのか」と聞かれた。この質問には面食らった。ビザが欲しいに決まっている。大将は「観光ビザ」と言った。
相手は、ちょっと、困ったような顔をした。すかさず、Alexが「トランジット」と言い直した。すると、相手の顔が明るくなった。
「途中で、何かするのか、どこかに寄るのか」と言われたので「ただ、途中で給油して寝るだけ、いそいで日本に行きたいのだ」と答えると、総領事に聞いて来ると席をたった。
「ひょっとすると、OKかも」
彼が戻ってきた。そのとき、ロシア人の夫人が入ってきたがその男はていねいに「もうちょっと、待ってくださいね。すぐ終わりますから」
(ロシア語なので想像)とやさしく言った。
僕たちには、「よろしい、明日9時に来てください。ビザを発給します。1人2200krと写真を3枚持ってね」3人ともニャッと笑った。
これでOK。でも、本当にスタンプを押してもらうまでは安心できないぞと自身を戒める。
外に出た。タクシーを呼んでる間、僕は写真を何枚か撮った。大きくてきれいな家が多かったから。
車に戻ったら、ちょうど1時間。チケットを新しいのと入替えた。3人でビザ用の写真を撮ったあと、大将は、散髪したいという。
そうか、彼もほっとしたんだ。でも、髭は日本に着くまでそらないという。
写真を送ったが、メンバーはあの「『麻原』みたいで気持ちが悪い」と言ってきたで。
散髪している間、Alexと2人で「チェルニー・ピーボ」を飲もうと思ったが止めて、コーヒーにした。
散髪が終わってまたチケットを取り替えることになった。「2時間まで」と書いてあるのに、1時間しか払えないとAlexが焦っている。
良く見ると、2時間は50krと書いてある(ような気がした)ので「Alex、50krやで」と教えてやった。50Krを入れると2時間のチケットが出てきた。「ワシの方がチェコ語が分かるやんか」と自慢したのは言うまでもない。
少し散歩をしようということになって、歩行者天国の中に入った。ほとんど新しい建物はないが、全てきれいに手入れされている。
女性を連れて来ると感激するんやろなあ、と思っているとドイツ人の観光客がワンサときた。
少し低くなっているところには川が流れていた。なんと、緋鯉と真鯉が泳いでいる。カモもいる。ヨーロッパはサマーバケーションにシーズンなのだ。
金持ちのそうでない人もそれなりに休暇を楽しんでいる。【Chebの飛行場のそばの湖の回りにはたくさんのキャンピングカーが止めてあって、ウンンドサーフィンとか、カヌーを楽しんでいる。】
川の両側は遊歩道になっており、ずらっとカフェーと土産物屋が並んでいた。
前に来たとき「ガラス製の複葉機」を買ったので、飛行機好きの宮崎さんのお土産にと思ってさがしたが、見つからない、やっと小さいのを見つけたがなんと350krもするのであきらめた。
ふと気がついて2人を探したが見つからない、確か「疲れたからピーボでも飲んでいる」と言って、座っていたのに。
意地悪して隠れているのかと思ってこちらもちょっと隠れてみたが出てこない。しまった、Pavlaの家の電話番号も住所も持ってないのだ。
焦ったが、よく考えてみると駐車場所は分かっている。慌てて戻ったら、車は止めたままだ。ほっとした。しかし、ここをはなれたらいかんと思い、車から1分以内のところまでしか離れずにしかし、ウインドーショッピングを楽しんだ。金物屋を見つけたので鍵を買った。ロシア上空は一切の撮影が禁止されているのでカメラはロックしなければならないという。だから僕はペリカンケースの鍵が必要なのだ。
チェコの南京錠は変わっている。鍵を差し込まないとロックできないのだ。壊れているのかと身振りで尋ねると、「もし、鍵をなくしてロックしたらどうする?開かないだろう。だから、鍵がなければロックできないようになっているのだ」と言われた(ような気がした)。なるほど。
ボンネットに座ってピーボを飲んでいると、Pavlaが走ってきた。ちょうど、通りかかって僕が1人でいるのが見えたので声をかけてくれたという。
事情を説明した(彼女は英語ができるのだ)ら納得して車に戻ったらパトカーがブルーのランプを回しながら待っていた。
僕はあわてて彼女の車に行き、喋れないけどいろいろと説明した。ほんとうに、1−2分しか止めてないのだ。
僕の説明が功を奏したのか効かなかったのか、でも無罪放免してくれた。
2人は制限時間の2時間きっかりに戻ってきた。あの先に温泉プールがあったのにと、馬鹿にされた。
そうだ、このあたりには温泉が多いのだ。前に来たときマリアンスク・レズニーに泊まったらそこには温泉があったので入ろうとしたら、「水着を着けろ」と言われて断念したのだった。畜生、また温泉をミスッたか。
家に戻ってから、2人の新しい家を見に行った。実家から車で5分ほどだが先にタイル屋に行って風呂用のタイルを買って車に積んだ。その後絨毯屋で品定め。そのあと新居へ。車に乗っているあいだにPavlaに「みんなアホイというけどどういう意味?」と聞いた。「Helloだからいつつかってもいいのよ」といわれた。僕のチェコ語のレパートリーが2つになった。「セルニー・ピーボとアホイ」
外観は出来上がっているが内装がまだ完成していないという。そう言えば、前来たときには「今度来たら新しいうちだから気兼ねが無いよ」とAlexが言っていたなあ。そういうとAlexは頭を掻きながら、下水の本管が完成していないので2ヶ月もこのままなんだ」と済まなそうにいう。
でも広い家だ。3フロアで300平方mぐらいある。退職したらこのあたりに住もうかしら。
今度来たら僕が寝る部屋を決めた。
家に戻ったら、事務局からメールが入っていて、Faxが送れないと焦っている。そうなんだ、マニュアル受信だから誰かいないとダメなのだ。
また、いつものレストランへ行く。今日はPavlaと4人。Pavlaには「メールを呼んだ女性があんたのことを心配してるで」といったらにっこりとした。
結局、今日も床に寝た。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

8月2日
昨晩は雷雨がすごかったぞと大将が言ったが全然気がつかなかった。僕はいつも通り5時に起きて最後の電池を使ってメールを送った。
8時に朝食に下りるとき荷物は全部持って降りた。ところが途中でデジカメを落としてしもた。レンズが動かんようになった。
9時に同じタクシーが迎えに来てくれた。
Chebの農薬散布飛行場についたらすぐHFの送信テストをやった。心配していた通りだった。受け取ったまま持ってきたのでほんとうに全チャンネル送信できるかどうか不安だったのだ。ケンウッドの中西氏は大丈夫だと言っていたけど。しかたがない。改造方法を尋ねよう。
メールを池田さんに送ってHFラジオのことを頼んだ。昼は、大将はチャーハンとスープ、僕は山菜飯を食った。
電源が時々入るのでダマシダマシメールを書いている。
16時ごろ、大将が飛び込んできた。
「四十五分にKarlovyVaryにいくぞ、早うせい」。本当にいそがしいんだから。
車で送ってもらったら十分間に合った。一人2等で8kr。結構安い。定刻に出発。途中、僕は窓から体を乗り出して景色を見ていた。ヨーロッパでは車も列車も右側通行だ。ところが、ふと気がつくと左側を走っているではないか。エッと愕いたが間違いなく左を走っている。アッ向うから対向列車が・・・・・・・相手も左を走っていたので無事すれ違った。でも変やなあ。
KarlovyVaryに着くとAlexが迎えに来ていた。全員でパボラの家へ。めでたしめでたし。かくしてAlexは元の鞘に納まったのでした。ご心配ありがとう。
日本にFaxを送るついでに高木氏に電話すると、タンクがフランクフルトに着いたらしい。よかった。明日、確認しよう。
夕食はいつものレストランへ。僕が覚えた唯一のチェコ語は「チェルニ・ピーボ」黒ビールだ。シャンピニオンステーキを注文したが今日は塩辛くなかった。2人はビールを飲んでいるので1人で近くを散歩した。あの、トラバントを見つけた。それもセダンとワゴン両方。僕にとって、この車は東西統一の象徴のように思えるのだ。
その後、KarlovyVaryにロシアの領事館があることが分かった。明日のプラハ行きは中止して領事館に行き、その後フランクフルトにタンクを取りに行くことになった。
僕はメールを確認していたら、全員寝てしまった。僕と大将のベッドルームは一階の奥だった。照明が消えているので真っ暗。
手探りで、階段を下りていくと、大きな鏡にぶち当たった。ベッドルームへの行き方がわからない。しばらく探したがあきらめてまた、Alexのオフィスに戻り、電話帳を枕に寝た。
僕の特技。いつでもどこでも寝れること。但し、枕がわり(例えば電話帳など)は、必要。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

8月1日清々しい朝
5時に目が覚めた。外は明るい。高い鉄塔は薄く茜色に染まっている。シャワーを終えてでくると、草原のむこうの少し窪んだところに朝霧が漂い始めている。それは見る見る広がってきた。幻想的な光景だ。カメラを持って散歩に出る。フロントにはもう女の子が出ていた。「グーテン・モルゲン」、たった一つ知っているドイツ語を使うと同じように返してくれた。
大学教養のとき、徹夜して野村先生の講義をとるために並んだのを思い出した。彼は全共闘シンパで、出席はとらない、レポートは必要ない。だから、受講希望が殺到していたのだ。テストはただ、ドイツ語で何点欲しいか書くことだった。僕は当然100点と書いた。理由は、「ほかの科目では100点が取れないから」だった。僕が大学で受講した全科目の中で、唯一100点だったということは言うまでもないだろう。
ホテルの前には小さなお城の模型みたいなものがあった。近づいてみると本当のお城の一部だった。花崗岩製のその小さな塔には銃眼もあり作りもしっかりしていた。その先は白樺林になっており、黒いリスが出てきた。写真に撮ったがちょっと遠かった。林を抜けると昨日見た薄い黄色の建物が現れた。そしてずっと続いている。岡山県の倉敷の町並み保存地域のようにたった数百メートルではなく、町全体が旧いまま残っているのだ。道路が舗装されているのを除けばまるで17〜8世紀の町並みだ。そして、家には人が住み生活の匂いがする。
だんだん、日が高くなって町全体が明るくなってきた。結局、2時間も歩いてしまった。履いていた藁草履(便所ぞうり)がかなり擦り減ってしまった。これは機内で履くつもりで持ってきたのだが・・・・・
帰り道でタクシー屋を見つけた。ベルを押すようになっているので押すと、目の前の窓の内側のソファーに寝ていた男がむっくりと起き上がった。なにか悪いことをしたような気がしたが男は気持ち良く出てきて乗せてくれた。
部屋に戻ったら大将はまだ寝ている。僕のPCの電源は相変わらず調子が悪い。やばいなあ、佐藤氏に代わりを持ってきてもらおう。
朝食は、ハムとチーズとパン。それにジュースとコーヒ。野菜はない。昨日預けたランドリーは夕方しかできないのだが、今日は古い町並みのホテルに泊まりたいのでチェックアウトした。9時に頼んであったタクシーが来た。
CHEBにはかつて、ヒットラーが作らせヒーター入り滑走路がある。その地下には大秘密工場があると伝えられている。ここは、閉鎖された飛行場だが、農薬散布のためにだけ、ABASが特別に使用を許可されているという。
今日はHFの無線機を取り付けだが、まず、事務所に行ってメールをチェック。
昼は、例の乾燥食品を食べた。僕はすき焼き丼、大将はチキンライス。チキン系はほかの人間に食べさせることにしているのだ。ついでに、玄米茶とほうじ茶を飲んだ。
PCの電源を調べていると、大将が送信しないと怒鳴っている。行ってみたが明日にしようということになった。
昨日行った街があまり魅力的なので「あそこに泊まろうや」と大将に持ち掛けた。面倒くさいなどとぶつぶつ言っていたが、結局折れてホテルを探しに行くことになった。大将もただ怒鳴るだけではなくやさしいところもあるのだ。Alexは友達の結婚式に行くのでタクシーを頼んだ。ここでいつも利用している知り合いだ。
まず、ピラミッドに行って昨日だした洗濯物を受け取る。大将はまだ「もし開いてなかったらどうする?」などとぶつぶつ言っているが知らん顔。
車が町の中心に入るには20krの入場料を払わなければならない。なるほど、それで車がほとんどいなかったのだ。
まず、昨日のホテル・ポスタに行く。満室だった。次にホテル・パレスに行く。また満室。大将はぶつぶつ言いはじめた。やっと、5軒目で空き室が見つかった。すごくきれいだ。最近リフォームして開店したところらしい。最上階のツインの部屋をもらった。明るくて広いへやだ。ベッドは2つ引っ付いている。ソファーの部屋があり寝やすそうなので、僕はこちらで寝ることにした。
やっと、深夜のキリギリスから開放される。ホテルのレストランで飯を食った。チェコ語しか書いていないので
ちょっと英語を喋れるウエイトレスにまかせたらなんでもおいしいけどチェコのティピカルなものをどうぞということでローストポークみたいなのを持ってきた。結構おいしい。いや、チェコに来て一番美味しいや。
ホテルの電話はモジュラーだったので直接メールが送れた。しかし、電源がダウン。ダマシダマシ使う。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

7月31日
朝、濃い霧が立ち込めていた。あきらめて$20ホテルを出発。車でプラハへ向かった。しかし、途中で晴れ間が見え始めた。もう少しで飛行可能になりそう。予定を変更してABASに向かう。
昨日最終リクエストをロシア当局に送ったので、出発前に大将がその感触を聞こうと電話をかけた。ところが以外や以外、飛行許可を出したから、FAXで送るというのだ。全員飛び上がって喜んだが、書面を見ない限り信用できない。
9時にセスナ210で、ゴジラの佐藤さんをプラハまで、送っていくことにした。40分ほどで到着。国際ターミナルの方へ急いだ。
エアロフロートのカウンターにはまだだれもいない。不信感がよぎったが、レストランで朝食をとることにした。10時過ぎにカウンターにもどったがまだ誰もいない。チェックインするらしい客は数人待っている。もう、戻らなければというときにTUの職員が出てきた。チェックインのときに尋ねるとはたして、3時間の遅れという。ということは、モスクワからのNRT行きに間に合わない可能性が大きくなった。ジタバタしてもしかたがないので、佐藤さんには今、回りにいる人を見失わないように注意してフライトを待つようにと言って僕と大将はPlasyのABASに戻った。
途中、Chebに寄ってAlexをひろった。
ABASに戻ってモスクワからのFAXを確認すると、確かに飛行許可が8日出発で出されている。Alexと3人で小躍りした。僕は早速e−mailを送った。もう、南回りを考えようとしていたのに、こちらがしつこく許可申請を繰り返すので相手が根負けしたようだ。なにはともあれ、めでたいことだ。
あと、問題はその許可を持ってプラハのロシア大使館に行って、ビザをもらうこととアメリカから送った増槽が7日までに到着することだ。
フランクフルト止めで送ったので着いたらAnで取りに行くつもり。
2時、AnでChebに戻る。Alexに聞くとまだ彼女のパボラと仲直りしてないらしいので、Frantiscovy Lazneに泊まることにした。ホテル・ピラミッド、本当にピラミッド型のホテルだ。節約してダブルの部屋にした。しかし、チェコ語とドイツ語しか通じないので、隣のレスオランに行った。
今日もステーキ、僕は肉が好きだが毎日だとやはり、飽きて来る。
時々、後ろを電車が通るのでそのたびに見に行った。だんだん日が傾いてきて空が赤く輝いて来る。
今日は初めて1日中良い天気だった。空には上弦の月が淡く光っていた。
トイレに行きたくなったので1人先にもどると入り口の前でおばちゃんたちが「パス・パス」と言ってる。分けがわからなかったが、フロントでキーを貰うときまた「パス・パス」と言って僕のパスポートを渡してくれた。そうか、そのへんに落としていた僕のパスポートを拾ってフロントに届けてくれたんだ。戻って、おばちゃんたちに「有り難う」とお礼をいった。本当に良かった。もし、パスポートをなくしたらアントノフどころではなくなっていたのだ。考えてみるとゾッとした。
あまりきれいなので外を眺めているとAlexがフロントから電話をかけてきた。これから外に行くから下りてこいとういのだ。あまり、気が進まなかったが
付き合いで行くことにした。車で3分ぐらい走ると、落ち着いたすごくきれいな町並みが見えた。車をパーキングに入れて歩くことにした。
町全体の色が薄い黄色に統一されていてほんとに美しい。日本で言うと歴史的町並み保存地域といったところだ。言葉が分からないのが残念だ。
ある建物に[1794−1994]と書いてあったので、多分200年以上古い町並みらしい。電池が無くなったので充電のためカメラを置いてきたのが
本当に残念。観光客らしい人たちがいるが殆どドイツ人だ。国境から30分ほどだから当然といえば当然か、物価はドイツよりずっと安いからなあ。
カフェでコーヒーを飲んだ。この国では、トルココーヒーが結構幅を利かせている。オスマントルコの名残かなあ。2人はビールを飲んだ。
歩く人皆がゆったりとしている。目の前にもホテルがある。[POSTA]と書いてあるので昔は郵便局だったのかなあ、などと考えた。明日は是非ここに泊まりたいなあ。
9時になってもまだ残照がある。今日は、気分の良い1日だった。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

7月30日
4時に起きる。初めから持ってきたBOCA(これはアメリカで買った56K、$98のもの)のモデムで同じ事をやってみた。モデムは完全に動くようになった。原因が分かった。はじめにハードをインストールするときに純正ドライバーがインストールされていなかったのだ。そんなら、ここで高いモデムを買う必要はなかった。高い授業料だった。

7月29日
3人で$50のホテルにしては、朝食はまずまず。只のレンタカーは少し小さいけど快調。20分ほどでABASに到着。ゴジラの佐藤さんは一杯洗濯をしたといって、アントノフの機内に干した。天気が不安定なのでいつ雨が降るか分からないのだ。
モデムを動かそうとしたがどうしてもだめ。高いのを承知で買うことにした。パーツを積んだ飛行機が離陸したのを確認してからPLZENに向かう。
この町はピルセンビールの産地だという。ここに来るのは昨日に続いて2回目だからゆっくりとまわりが見れる。新しさはみじんも感じられないがなんとなく、ホッとする町だ。途中、トイレに行きたくなったが着くまでガマン。工事中のところがあったりしたて時間がかかったがパソコン屋のある、ビルまできた。今日は入り口におばちゃんがいた。喋っても分からないので「JUMP」と店の名前だけをを言うとにっこりして2階をを指差してくれた。
ガマンができなくなり、ゆっくりと一歩ずつ階段を上った。そして暗くて長い廊下をぬけて行くと「JUMP」のドアの手前にトイレがあった。危機一髪、難を免れた。中に入ると昨日の親父がにこやかに迎えてくれたが、英語が解るほうはいない。僕のPCを出して再インストールをする。売り物といっても、箱はぼろぼろマニュアルはあるが保証書はない。明らかにだれかが使っていたのをはずしてもってきたのだ。なかなか動かない。しかし、昨日は一応ピリピリと動く音がした。高いので悩んだが、近辺にほかにパソコン屋はないしアメリカ製のちゃんとしたメーカーActiontecのものなので意を決して買うことにした。でも33600kpsで7800kr、3万円弱だから秋葉の5倍だ。町並みを楽しむ暇もなく、あわただしく戻る。
注文した部品は到着してひく気は帰った後だったが、付属のベアリングがない。これでもう一騒動。
僕は、なんとかモデムを動かそうといそいそといじくるがだめ。意を決してコントロールパネルの中のシステムを開けた。
デバイスマネージャーの中をたどり、モデムの項目をクリックするといままで使ったことがあるモデムがすべてぶら下がっている。ドラバーがあるので思い切ってDatalinkを捨ててみた。そして、スロットに差し込むと新しいハードウェアーとして認識した。あわててドライバーのFDを入れる。設定完了。
「接続」の中をあけて「トーンを待って・・・」をはずし「手動ダイヤル」をクリック。音響カップラーがあるので、これで世界中OKと思ったが、そうは問屋が卸してくれなかった。AT&TのPLZENにあるAPを呼び出したがパスワード確認のところで落ちてしまう。何度やっても同じで、終いにはトーンの音も無くなった。しかたがない、ホテルに戻ってからにしよう。
結局、昨日のホテルになった。毎日、何が起こるか分からないので荷物は全て持って移動しているのだ。ほかに客はおらず3人とも昨日と同じ部屋だ。部屋だけならわかるが不思議なことにレセプションにも電話がないのだ。事務所の奥にはあるんだろうけど。
昨日と同じく、おいしいが塩辛いステーキを食う。
CNNをつけたまま寝る。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

7月28日

朝、5時に起きてモデムの再インストールをしてみたが、だめ。原因は分かった。今使っているカードモデムBOCA5600のドライバーがCOM1にセットされているのだ。しかたがないので今、COM3にセットされている「標準28800bpsモデム」のドライバーを使っている。このドライバーでは、手動ダイヤルが使えない。どうやってもCOM3にはインストールできない。ALEXのPCを使おうとしたが、モデムが内蔵型なのでだめだ。あとは使えるカー
ドモデムを買うか、借りるしかない。
今後の方針について大声で話をしているとALEXが入ってきて「この家を出なけりゃならなくなった」と悲しそうな顔をして言う。どうも、パボラと喧嘩をして家を出ることになったらしい。ということは、我々3人も出て行かなければならなくなる。そしたら、電話もFAXも使えなくなり大変なことになる。
僕はALEXに「我々のために申し訳ない」といったら、「そうじゃない、5年も同じ女の子と付き合ったのが長すぎたんだ。仕事と、家と女は5年ごとに替えるべきだ」などと強がりを言っているが、目は本当に悲しそう。悪いことをしてしまったなあ。
結局、全員で荷物をまとめて車に積んだ。最後に挨拶をしようと思ったら親父しかいなかった。ALEXには宿賃はちゃんと払うと言ってくれと頼んだ。
まず、ガソリンスタンドで燃料を入れ洗車をして気分を変えた。そして、サンドイッチなどを買ってCHEBに向かった。髭ゴジラはいらないというので僕は2つ食べた。ABAS(アントノフの運航会社・PLASYにある)についた。
やることは一杯ある。でも今日からハンガー乞食(飛行機が好きだが金が無く、格納庫で飛行機と一緒に寝泊まりする人)だ。
荷物はまとめてアントノフに積んだ。
ここでも、柳田はロシアルートのことをぶつぶつ言っている。ロシア人はインディアン以下や。そやから、多少危険でも北回りルートに、決定すべきなのだ。一つ、明るいニュースは、CNNで同じアントノフでアメリカ人女性がシベリアを横断したとか出発したとかいうニュースを見たのだ。
許可が出る可能性が出てきた。しかし、前に試みた4人は死んだという。それから、ヒツヨウナパーツがポーランドで見つかったという。
しかし、$5000という。足元を見やがって。ほかもあたってもらうことにした。
やっとPLZENの町でパソコン屋を探したのでABASの若いもんにたのんで行ってもらった。ついでに2人も行ってレンタカーを借りることにした。PLASYから20kmほどでPLZENに入る。派手さはないがなかなか落ちついた町だ。路面電車とトロリーバスが走っている。
レンタカー屋のオーナーが、前にチノに来て柳田の家に泊めてもろたことがあるらしく、借り賃は只にしてくれるという。2人はレンタカー屋でおりた。車はフォード・フィエスタ、軽みたいなやつだ。
僕はパソコン屋に行った。車を下りて幽霊が住んでいそうなビルに入る。一人なら絶対行かないようなところだ。
3回に上がり、暗い廊下を80mほど歩くと、ドアにJUMPの表示がある。恐る恐る入ると、にこやかな男が出てきた。2人のうち、1人はなんとか英語が通じる。まず、現物を見てテストしてみたいというと、ぼろっちい箱を出してきた。中のシールは切られているが超ボロでもない。33600だとある。
PCカードモデムをスロットに入れると、新しいハードウェアとして認識した。しめた、と思ったがフロッピードライブを持ってきてなかった。ドライバーを
インストールできない。仕方ないので自動でドライバーを選ぶと9600のドライバーが入った。チェッカー経由でつないでボタンを押すとグリーンや。
半信半疑でAT&TにPLZENアクセスポイントにダイヤルしてみた。おっ、つながった。そやけど、パスワードエラが出た。何度やっても同じ。あんたのユーザー名とパスワードを貸してくれと言ってそこにつなごうとするがこちらもダメ。値段が安けりゃ買おうと思ったが8000kr($20=530kr)もするから、もう一度明日来て動作を確認してから決めたいと言って戻った。
ABASに戻るとスロバキアでもパーツが見つかったという。こちらは$500すぐ、配送の手続きをたのんだ。明日、チャーター便で届くことになった。
ABASはアントノフを買った会社でここで今までの整備をしているからスタッフは顔見知りだ。なんとか安いホテルを見つけてくれたのでそちらに行くことになった。僕はアントノフのほうが良かったのに。
車を飛ばして20分、まあまあのホテルだ。しかし、5時すぎに着いたのでフロントにはだれもいない。アレクソがパスポートを出せば支払いは明日で良いという。暗い廊下を歩いて部屋に行った。ここからは連絡ができると思ったが部屋に電話はない。ホテルに公衆電話があるかどうかも分からない。
すぐ食事にした。食い物はまあまあだが、塩辛い。僕は黒ビールを飲んだ。
部屋ではCNNが見えた。テレビをつけっぱなしにして寝てもた。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

7月27日

朝、7時起床。CHEBの飛行場へ。途中TACHOVに寄ってダニエルを拾ってプラハの訓練飛行場へ。ここで、髭ゴジラのアントノフを操縦するためのテストを行った。ダニエルはプラハの航空会社で働いているが、その合間にテストをしてもらうのだ。彼はチェコの教官免許を持っているのだ。しかも英語が喋れる教官は今、彼しかいないのだ。僕は飛行時間が足りないのでだめだということになった。
終了後、PLASYのABASの事務所に行って操縦許可証にサインをもらった。これで、乗員問題は解決。柳田、佐藤コンビで操縦はOK。
ところが、重大なことが分かった。注文してあった増槽がまだできていないのだ。こちらで作ろうとしたのが敗因だ。改めてカリフォルニア・チノのハンガーにある物を送らせようということになり、電話で永久氏の可能かどうかを調べてもらうことにした。
出発は最低1週間は遅れそうだ。アントノフはPLASYに置いてセスナ210でCHEBに戻ったが、途中天気が悪くなり超低空飛行でやっとの思いで帰り着いた。家に戻ってALEXの彼女のパブラと5人でレストランに行った。ちょっと、雰囲気が良くなかったが気にせずにねた。

7月26日
朝5時に目がさめた。ホテルの内線電話からプラハのアクセスポイントにカップラーでつなごうとしたが、ダメ。手動ダイヤルにせんといかんらしい。
ところが、モデムの設定がうまくいかない。今、アメリカで買ったBOCA5600を使っているのだがドライバーをインストールしても動かないので28800標準というドライバーで動かしているのだ。これだと、手動ダイヤルに変更できない。回線に直結しなくてもトーンなら発信するのだが、パルスでは直結しなければだめだ。TDKのモデムにしとけば良かったがあとの祭り。クリップ付きジャックを手に入れるか、手動ダイヤルができるモデムを手に入れなければならん。
7時から食事、1階のレストランでビュッフェ形式。チーズ・ハム・スープとヨーグルト・牛乳・コーヒー・紅茶。食いたいと思うようなもんはない。
結局部屋の電話がダメなのでテレホンカードを買って公衆電話から柳田機長に電話した。アントノフのトラポンに使うトラポンを他の機体からはずしてプラハまで迎えに来るという。昼頃、国際ターミナルの反対側のコミューターターミナルに来いという。
さて、ちょっと時間があるのでいつも通り過ぎるだけのプラハ市内に行ってみよう。道路まで出て、タクシーがくるかなと様子を見ていると前に車が止まった。普通の車で制服もきてないのに警察手帳みたいなのを出して、警察官だという。ヤバイかなと思ったが大通りだし昼なのでまあいいやと思って見せると何をしてるのかというので町まで行きたいのでタクシーを待っていると答えた。すると、乗せていってやろうかという。
これは、ヤバイと思い丁重に断った。ホテルのフロントに戻って尋ねると9時30分発の市内ツアーがあるから、それにしたらというので予約してもらった。ここから26番の路面電車に乗って、川をわたって2つ目で下りたらすぐ分かるという。電車は30分ほど走ってから急な勾配を下る。
途中で降りる停留所を確認するために立って地図を見たが、その時カチャンと小さな音がした。気にしなかったがそれが敗因だったのだ。結局、昨日買ったアーミーナイフを失ってしまった。アーアー・・・・・。
川が見えてきた。プラハ市内を貫くモルダウ川だ。2つ目の停留所にさしかかると説明してもらった案内所が見えた。そこには4台ほどのマイクロバスが待っていた。英語ガイドのバスに乗って出発。市内を回ったあと王宮に行った。ここは中世から現在は大統領府として使われているという。全行程3時間半だったが昼近くなったので途中でタクシーを捕まえて空港に向かった。20分ほどで到着したがそこで、預けてあった荷物3個を受け取ってコミューターターミナルへ行こうとしたが、さてだれもその場所を知らないのだ。あっちに行ってたずね、こっちに戻って再びたずねる、そんなことを繰り返しながら40分ほどかかってようやくたどりついた。入り口ではアレクソが足踏みをしながら待っていた。
すぐ、アントノフで出発。TACHOV(タコフ)に向かう。ここは、グライダーなどの訓練用滑走路で舗装はなくグラスである。ここには、モロッコに一緒に行ったダニエルが待っていた。彼は今度の飛行には参加できないがアントノフの操縦免許をとるための教官をやってくれるのだ。とりあえず、腹がへったのでレストランへ行く。ほとんど開いてなくてやっと見つけたところもえらいひなびたところだった。やっとの思いでステーキを注文したが僕たちがビールを頼まないのでウエイトレスは不思議そうな顔をしていた。僕と佐藤さんはアントノフの飛行訓練を受けるのだ。アルコールは御法度。
食後、草原飛行場に戻り6回ずつタッチアンドゴーを繰り返した。終わった後、今度はアレクソの居候先の家族を乗せて遊覧飛行。
終了後、ビールを1本飲んだ後、機体を掃除して帰路についたのが、午後9時。まだ、明るい。やっと居候家についたが、僕はさっきのビールが効いて眠たい。晩飯を食いにレストランまで歩いていったがあまり眠いので僕だけ戻って車の中でねた。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8

7月24日
今日は目がまわるほどやった。午前中に本来業務をかたづけなあかん。チェコからはアントノフに搭載しているトランスポンダー(監視レーダー上に自分の位置をマーキングするための発信機)が壊れたから別のやつを持ってこいと言ってくる。もっと早く言ってくればいいのに。
でも、しかたがないので大利根飛行場まで行ってほかの飛行機からはずしてもらうことにした。それでも僕は南千住まで取りにいかんならん。ジブリからは2回目の送金を受けたので引き出して米ドルに両替した。途中で使うとはお釣は現地通貨になってしまうので小額紙幣が必要なんやけど、東京三菱・渋谷支店では全額そろわんと、言いよる。それでも嫌みをいわれながらなんとかそろえてもらったらかばん一杯になった。
その足でKLMに行ってチケットの再発行をしてもらう。キリマンジャロ発のチケットの帰り分を関空発に変更してもらうことにしてある。というのは25日は成田発が満席で今日でもSBが8人もいるという。明日のJL111便6時45分発で関空経由で出発やで。
その後、新宿に行って音響カップラーを買うつもりで中央線に乗ったら、ケンウッドから電話が入った。注文していたHFのラジオが届いたという。飛行機は普通、VHFとUHFのエアバンドしか使わへんけど、長距離通信用にはHFを使う。そやけど本物は何百万円もするからアマチュア用を改造してもろたんや。そして、それを只で借りた。とにかく受けとらなあかんから渋谷にもどった。段ボール2個受け取ったけど、担げんから大きな紙袋にいれてもろた。ふらふらしながら局まで戻ったけど暑うて汗びっしょり。今のうちのと勤務記録に休暇を打ち込もうとしたら回線ダウン。勝手に8月25日まで線を引いてもた。あとで総務部からぶつくさいわれたら居直るしかない。
出ようとしたら、奈良に行ったカメラマンが来てもた。昨日の夜に来るようにと言うとったのに。仕方が無い。ロケの精算やら・・・・・・で時間を食うてもた。それから山手線経由で南千住に向かったが、途中で気が付いて新宿で下車。音響カップラーをさがした。ソフマップとヨドバシに行ったけど、置いてない。あきらめようかと思ったが、もう1軒と思てビッグパソコン館に行ってみたら、あった。あわてて買うた。ついでにスマートメディアのPCカードアダプターも買うた。これで、写真も簡単に貼付できるで。再び山手線で日暮里乗り換えで南千住へ。ドラちゃんはおらんかったけど
外の箱に隠してあったからそれを持ってあわてて帰局。段ボール2箱の乾燥食品(例の宮崎さんが食ったやつ)をパッケッジから出してバッグに詰め易いように整理した。飯を食ったあと、パッキング。乾燥食品と防寒具とコッフェルなどで大きなバッグがいっぱいになった。
HFラジオ、トラポン、ユニバーサルバーナー、コッフェル一式、はキャリーオンのカバンへ。コンピュータ、ビデオカメラなど1式は万一のためペリカンの防水ケースに入れた。最後に残ったドラスーツ。もし、海上に不時着した場合、これが最後の頼みの綱。
別のバッグに2着いれた。全員(キャプテン柳田、コパイ髭ゴジラ、それに僕の3人)分はないが、髭ゴジラにはあきらめてもらおう(サイズが合わないため)荷物は4個、75kgになってもた。
その後、タンザニアに送るファックスを作っていたらもう午前5時。万が一と思ってAMSに電話したら24時間予約センターはビシー。この時間昼はどこかいなあと思ってMSPに電話したら、成田発の予約がOKになっとる。こりゃよかった。
ゆっくりできるな・・・という具合にはいかない。成田発でも6時13分のNEXに乗らなあかん。結局寝る暇はなかった。
成田に着いて無事チェックイン。出発は10時10分、もう安心や。と思って連絡をしたり、昨日、雑誌に送った原稿を確認したりしていると時間ギリギリの9時40分になってもた。バタバタと階段を下りてイミグレに行ったら空いとって助かった。
ところが、ゲートの荷物チェックで引っかかった。まあ、無線機とかやばそうな物を一杯持っとるんやからしょうない。なんとかクリアーしたのが58分。あわててゲートへ。ああよかった。まだ最後のやつが乗っとらんかった。歩いとるのにまだ電話がかかる。結局機内に入ってクローズになるまで電話しとった。乗ったとたん寝てもて、意識不明。気が付いたらAMS到着1時間前、慌てて飯を持ってきてもろて、パクパク。ちょっとおかしいなとおもたら、2時間の早着や。3時10分到着予定が、タッチダウンは1時8分。アホなことにゲートが開かんいうて40分も待たされた。パイロットもあほやなあ。一寸燃料を絞れば何千ドルか節約できたのに。
ラウンジに行ってメールでも書こうかとPCを出そうとしたがペリカンケースが開かない。これは、防水なので、上空の薄い気圧のところでふたを開けたために負圧がかかっとるんや。それで、ナイフを忘れてきたのを思い出したので買いに行った。115G。そして、今書いとるところ。プラハ行きに乗り遅れんようにせなあかんなあ。
KLMのラウンジのいつもの席に陣取った。入って左側の奥から2つ目。この電話機が僕のPCには一番相性がいいのだ。
まず、ここに来たらハイネッケンを一杯飲んでから作業を始める。クラッカーの袋をあけようとおもたが、なかなか開かん。
今買うてきたナイフを使こてみようと開けたら、これはチェーン切りがついとる。サイクリスト用や。あとで替えてもらおう。
一応、書けた。第一信としてはこんなもんかな。
モデムをクレジットカード電話につなぐ。ちゃんとデータポートがあるのだ。カードをこすり、AT&Tnにオートダイヤルを開始。
ん・ん・ん、モデムの音がちょっとちがう。認証がおわったところでフリーズしてもた。4〜5回くりかえしてもアカン。
今度はNHK−GRPにつなぐ。今度はもう少し先まで行くが、まだ送れない。時間が6時半になった。出発時間は6時50分やった。
あわててパッキングをしてゲートへ。G4やから一番奥や。キャリーオンバッグとペリカンを持ってバタバタと走る。着いたら6時45分、そやけど、ほとんど人がおらん。カウンターの姉ちゃんにデイレイかと聞いたらオンタイム7時20分やという。
そんなら時間があるからナイフを替えて来ようと言うたら、あんまり遠くに行かんといてと言われた。そやけど、まだ時間があるから、またDウイングまで戻る。結構遠い。ナイフ屋に着いたら55分、ねえちゃんがマニキュアセットを買おうかやめようかグズグズ迷とる。「早よせえや」と思いつつも「一寸それは大きいからゾウの爪用ちゃうか」などと冗談を言う。時計をチラチラ見とるんがわかって姉ちゃんは「お先にどうぞ」と言うてくれた。これが紳士のマナーやなあ。同じ値段の小さいやつに替えてもろてまたまた、D4へ・・・・・・・。
一番最後やった。ベルトにつけてあるGPSをみつけられたのでヤバイかなあ、と思たら動かして見せてくれという。官僚的イジワルやなくて本当に興味がありそうやったので十分時間をかけて説明してやった。ここまでくれば、おいてけぼりなんちゅうことはないからね。
ゲートの兄ちゃんも姉ちゃんも愛想を振りまいて送ってくれた。最後に乗ったとたん、ドアをしめられた。飛行時間は1時間10分。メールを書く時間はないから、景色を見る。まだまだ明るい。飯の時間になったけど、不運にもチキンの照焼き。「飲み物は」と聞かれたので「ただの水」と言うたら、ガス入りを持ってきた。ほんとはガス無しがよかったけどあきらめた。南東に飛ぶのですぐ、暗くなる。イミグレのフォームはチェコ語しか書いてないので姉ちゃんに説明をしてもろた。
プラハに着いたら8時45分、でもまだ夕焼けの残照があった。下りるのは一番。イミグレも一番、荷物も一番に取って、税関の兄ちゃんにこんどはこちらが愛想を振りまいて、通関。ここで、止められたら、没収か高い関税を払わされるからな。無事通過して外に出たら、誰もおらん。絶対に早く来たことがない奴らやからしかたがない。メールでも書こうかと電源があるところを探してPCを取り出したら、充電器の電源ランプがつかない。ターミナルビルが工事中やからかいな。しかたないのでカメラのマニュアルでも読んどこ。1時間たっても来ない。しかたがない、電話でもするか、とテレホンカードを買いに行ったら、売店はもう終り。しゃあないからコインでかけた。はじめに7kr以上入れなあかん。15krいれてダイヤルしたら、つながらんで金だけとられた。($20=530kr)結局、コーヒーショップに行っていらんコーヒーを注文して小銭をもろて、今度は小さいこいんからいれてみた。アレクソ(柳田機長の子分)の家(ガールフレンドの家でそこにアレクソは居候している、僕は居候の居候になる予定)電話したらでない。
しょうがないからドイツの携帯に電話したら、柳田が出て、ドイツ国境で止められとるから明日10時に迎えに行くという。そんなことやと思うた。「もう金を使うてしまうぞ」と言うてみたものの、始めに来たときは、迎えに来てくれたのに荷物の後ろで居眠りしとって見つけてもらえず、4時間後に再び来てもろたんやった。
しゃないから荷物を預けてホテルを探すことにする。幸い、ホテルコンピュータシステムちゅうのがあって簡単に探せて電話までただでできた。今回は人の金やから安い所を選んだ。1700kr、タクシー代が500krで空港から10分ぐらいやった。大きいホテルやけど、部屋はシンプルで共産党時代に建てられたらしい。キーを受け取って部屋に入った。エアコンは無し。窓を開けると良い風が入ってくる。
朝から大汗をかいたんで風呂でも入ろうかとお湯を入れると、なんと・・・・・真っ茶色。いくら流してもダメ。きょうび、アフリカのホテルでもよっぽど場末にいかん限りこんなことはない。褌を洗おうかと思ったが色がつきそうなのでやめた。ああ、眠たくなった。
ではまた。

7/24 7/26 7/27 7/28 7/29 7/30 7/31 8/1 8/2 8/3 8/4 8/5 8/6 8/7 8/8