小崎氏のアントノフレポート(1998年ロシアから)

目次(クリックした日付の手記へジャンプします)

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月25日
朝から雨。燃料の見通しもなし。
7時起床、8時に空港に行くことになっていたが、キャンセル。
ロマやんだけ電話をしたり、出かけたり大変だ。彼は僕らがロシア領内を飛ぶ許可の条件(監視役)エアロ・フロートから派遣されている。
かつてなら、KGBが乗り込んできたのだろうが、彼は本当の飛行機馬鹿ですぐ、操縦かんを握りたがる。4人のローテーションの予定だったのに5人になったので僕らは操縦かんを握る時間が短くなったけど彼は元々アントノフで操縦訓練を受けてパイロットになったんだしふつうなら威張って後ろに座っているだけの「エスコート」が操縦も手伝ってくれ、安いホテルもレストランも更に燃料まで探してくれる。
おまけに許可条件に入っている全ての地域で撮影禁止となっているにも関わらず、「自分は後ろに目が無いから」と黙認してくれるのだ。
これで1日$200は安いもんだ。仙台に着いたら大宴会の主役やなあ。
僕はグローバル・ワンのオフィスにPCを持っていってラインにつなぎメールの送受信と天気図・ひまわり画像をダウウンロード。
やはり、2〜3日はだめだろう。小型の飛行機はジャンボ旅客機などと違いその運航が風や天気に左右されるのだ。
大洋を航海するヨットよりもシビアにその制約を受けるといってもいいだろう。
今日、出発できないということは、僕の休暇の期限5日までには日本に到達できないということだ。しかたないので、会社に高い電話をかけた。
小山さんに直接はなしたら、「いつになるかわからないんだろ、予定は25日のままにしておくからな」と笑って言ってくれた。
7時過ぎ、ロマやんが酔っ払って帰ってきた。
なんと、燃料確保に成功したのだった。
今日はそれを祝って日本レストラン「札幌」で豪勢にやろうと大将が言い出してまた大喧嘩になった。日本食はローカルの5倍ほど高いのだ。
僕が「あと1日やし、仙台に戻ったらなんでも食えるんやし、人の金やから節約せんといかんやないか」と言ったのだ。
すると佐藤氏が「今回初めてだし、一番安い物を食えばいいじゃないか」といったのでしかたなしに手を打った。
札幌は入口に酒樽が置いてあり日本風に作っているが客はいない。やはり高いからか。結局、僕はすき焼きを食べたかったが、すき焼きはドライフードで持っているのでとんかつ定食をたべた。大将は焼き魚を食って「おっ!これは日本の味や」と感激していた。
26日午後7時現在、ビザの再延長のための日本大使館からのレコメンも手に入れた。明日ビザの延長ができるだろう。明日も、朝はだめだろう。
うまくいけば午後、サハリンへそして27日仙台へ。
そんなにうまくいくやろか。

8月24日
朝7時から起きて準備するが大将は10時過ぎにやっと起きてきた。
ロマやんも7時からいろいろなところに電話をかけているが芳しい返事はない。
こちらは焦っているのだが、大将はゆっくりと1時に行動開始。
車で空港に行くが途中、隣にある小さな空港でAVGASの可能性をたずねるが、全くだめだ。ここにもあるのはターボジェットだけだから。
L420と、同じサイズの双尾翼のやつ、それに世界最大のヘリコプター「カモフ」があった。
ここはあきらめて国際空港に行って必要な荷物を出そうとすろとフォローミー(飛行機の前を走って誘導する車)が来て、駐機場所を変更してくれというので、外側のスクラップ置き場みたいなところに移動する。
その後、空港の管制官に情報を聞いたり、エアロフロートに事務所に聞いたりしたけど全部だめ。明日の出発は難しそうだ。
一つ、いい情報が手に入った。
森林火災に備えて森林局にストックがありそうだ、というのだ。早速森林局に向かう。雨が降り出し風も強くなる。
森林局はOKはくれたが、モスクワのコントローラーがOKを出してくれんかった。
探してあったホテルに戻ってグローバル・ワンのオフィスに行く。偶然にもホテルから歩いて2分のところだった。
オフィスに着くと2人の女性がいた。1人はコンピュータを使っている。その一人に声をかけた。その人は英語がダメ。そこで後ろにあるオフィスに連れていってくれた。そこがグローバル・ワンのオフィスだった。
しかし、7時を回っていたのでもう管理者がいないのでだめだと言われた。しかし、ねばりにねばった結果、アカウントを出してくれた。
それでメールが送れるようになったのだ。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月22日
8時に昨日の車が迎えに来た。しかし、一面にガスがかかりこのままでは視界不良で欠航だ。ブリーフィングルームに着いたのが9時。天候回復を待つことにした。このガスだと思ったのはこの地方特有の朝霧で昼になれば消えてしまうという。
10時ごろ青空が見えてきたので離陸準備を始めようとすると今日は出発できないとロマやんが言ってきた。
彼の説明によると、ハバロフスクまで10時間、万一に備えて着陸できる他の空港を指定しておかなければならないが、夜7時以降途中のほかの空港が順次閉鎖になる。また時差が1時間だからその分よけいに時間を損するのでチタの午前10時以降の出発は認められないのだ。また、明日は日曜日でこの空港は閉鎖、したがって月曜日まで出発はできないのだ。
機長はかなり強引に粘ったがだめだった。しかし明日の早朝、管制関係や消防関係など出発に必要な最小限のひとに出勤してもらい特別に離陸することを認めてくれた。
今日はターミナルビルのすぐ裏のエアロフロートホテルに泊まることになった。
ホテルに着いてびっくり。入り口は掃除もしてなくて汚れ放題で、まるで廃虚これでは、客もこないはずだ。レストランは休みなので持ってきた非常食を食うことにする。食事は佐藤氏の係だ。彼は湯を沸かして素麺をゆでた。それからフリーズドライの中華丼それに飛行中の食料として買ってきたソーセージとパンとバターが今日の昼食になった。
僕も一寝入りしてロビーに出るとロマやんがさっぱりした顔をしている。
散髪をしたのだ。Alexもだ。今は大将が行っているという。たしか、大将はカルロビバリでも散髪をしたのじゃなかったかな?
僕も散髪をしないかといわれたが、そんなに伸びていないのでやめた。
なんでも、このホテルにヘアーサロンがあってそこの姉ちゃんがすごい美人なので3人が散髪をしてしまったらしいのだ。
Alexは「写真を撮ってくれ」というので、「Pavlaに見せるのとは違うファイルに保存するんだぞ」と言って2枚ほどとったら電池がなくなったのでビデオにした。
僕とAlexはチタの町を見物に行くことにした。他の3人は寝ると言った。
空港から最終のバスが出るというのでそれに飛び乗った。8時半を回っていたと思う。バスのなかはけっこう込み合っていてその中に子供連れの数家族がいた。僕たちの前に女の子3人と男の子1人横に女の子1人が座っていた。近くにハイキングに行ったらしい。
僕たちが今日の飛行がキャンセルになったことなどを話していると子供たちが聞き耳を立てている。僕が「英語わかる?」と聞くと元気そうな女の子が「もちろんよ」と答えた。
中学校では英語を正課で学習するらしい。彼女たちはいろいろなことを僕たちに質問した。分からないところは一番年長らしいが教えている。
彼女は大学で心理学を専攻しているという。バスの中は即席英語教室になった。間違った答えが出ると車内が爆笑の渦でつつまれる。英語が理解できる人は結構いるみたいだ。
9時18分真っ赤な太陽が西の地平線に沈んだ。終点の駅前で降りたとき「みんなで写真を撮ろうよ」と男の子が言い出したのでみんなで集まって撮った。
僕たち2人は彼らと分かれてカフェでも探そうかといことになったがロマやんがいないので右も左もわからない。結局さっきのバスに乗っていた車掌さんに町の中心部にはどう行けばいいのか尋ねるとトロリーバスに乗り換えて5つ先ぐらいというので乗り換えることにした。レーニン像がある広場の前で降りた。
銅像の回りは公園になっている。まず、キオスクでビルを買って飲みながら公園の周りを回ってみるとベンチには若いカップルや女性同士などが座って楽しく喋っていた。
Alexは「だれか英語がわからない?」とたずねてまわったがだめだった。
近くにカフェが見つかったので覗いてみるとヤバそうなとこではなさそうなので入った。Alexはウエイトレスにもう一度「英語分かる?」と聞くと彼女は「ええ、少し・・・・」と答えてくれたので彼は飛び上がってよろこんだ。彼女は17才学校で5年間英語を習ったそうだ。
しかし、この町には外人があまり来ないので先生以外の外人と話したのはAlexが初めてだという。Alexはまた飛び上がってよろこんだ。
僕自身はドライフードを食べていてあまりお腹がすいてなかったのでスープとパンだけを注文した。ビールだけでは芸が無いのでウォッカを使ったブラディーマリーを注文したがトマトジュースがないというのでレモンジュースをもらってそれで割った。僕は半分眠くてうとうとしていたが結局1時過ぎまでその店にいた。
さて、帰る段になってタクシーがない。バスを降りた駅まで行ったがタクシーらしいのはいない。でも3〜4代の車が屯していたので「空港のエアロフロートホテルまで行ってくれない?」というと20才ぐらいの男が「いいよ」と答えてくれた。
昨日のホテルまで往復で100ルーブル支払ったのでまず50ルーブルから始めて100ルーブルでやっと交渉は成立した。僕が、後ろに乗りAlexが助手席に乗った。車は2世代前のカローラだが最高級モデルだった。出発前、後ろにもう一人の男が乗ろうとしたのでヤバイそうだからAlexを後ろに乗り換えさせた。Alexに「ちょっとヤバそうだけどこのデカイほうの奴何とかなる?」と彼が分かる日本語を混ぜて小声で言うと「俺よりや小さいから大丈夫だぜその小さい方は?」「そちらは任せてくれ」と非常時の分担を決めた。
車が発進したがどうも様子が変だ。車が左右に動くのだ。信号の前で停車したが1人がビールを買いに行った。そして飲みながら運転している。そう、千鳥足運転なのだ。対向車になんどもぶつかりそうになる。途中で「オシッコ」と言って車を止めさせてAlexと相談したがそこで降りても場所が分からないし車も通ってないのでガマンするしかない。ということになった。この車は走り出すと自動でロックがかかるので僕はロックボタンを引きっぱなしだった。
ちょっと力を緩めると又ロックがかかってしまうのだ。やっと空港の前の踏み切りまでたどり着いたのは2時すぎだった。降りるときに礼を言って100ルーブル渡そうとすると「少ない、話がちがう」と文句を言いはじめた。ホテルのドアが開いているのを確認してから相手が酔っ払っているはわっかているのでこちらから高飛車にに出ると「分かった100ルーブルでいいよ」と言ったので握手をして「気をつけて帰れよ」と言って別れた。「危機一髪だったね」とAlexと話しながらホテルの部屋の方に行くと「アッ、しまった、鍵をなくした」とalexは真っ青になった。
ポケットをいろいろ探すが無い。しかたないのでフロアマネージャのオバハンを起こしたが鍵はないという。しかたないので彼の部屋の前に行ってドアを蹴飛ばすと開いた。中に入ると、ベットの上に鍵が置いてあったが彼の荷物と革ジャンが消えていたのでまたまた真っ青になった。
「僕の荷物が消えてしまった。着替えも、現金($7000)もパイロットのライセンスもどうしよう!幸い、パスポートはポケットに入ってるけど」もう泣き出しそうな声だ。「どこで鍵を失くしたんだ」というと「多分ホテルの周りだろう。誰かが拾って部屋に入り僕のバッグを持っていったんだ」
本当にかわいそうだったがなにもできない。
「じゃあ、もう遅いけどロマやんに聞いてみようよ」と僕が言うと彼の部屋をノックした。「大変だ、大変だ、ユーリー起きてくれよ、僕の全財産が消えたんだ」。他の泊客が怒鳴ってきそうに大きな声で。
5回目ぐらいにやっとガタガタと音がしてロマやんが起きてきた。
ニヤニヤしている。Alexの顔がほころんだ。ロマやんが保管しといてくれたのだった。
ロマやんによるとAlexの部屋に鍵がついたまんまだったので物騒だったから自分の部屋に保管しておいたという。
なにはともあれ、まずはメデタシ、メデタシ。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月21日
朝7時に起きて歯をみがいたりしているときちんとした身なりでハイヒールをはいたきれいな女性が食器を持って入ってきた。びくりしたが、ロマやんが頼んでおいてくれた出張朝食サービスだった。
こんなところでフルコースの朝食が出て来るなんて考えもしんかった。ハムも美味しく卵は固ゆでで全て僕の好みだった。本当の自然派の人には最高のリクリエーションの場であろう。
しかし、一般の日本人にはこんなところは耐えられないだろう。だって、電気があるだけで、ほかはほとんど100年前の暮らしそのままなんだから。
バスで飛行場に向かう。川が朝日に輝いている。ここのローカルタイムは日本時間と同じだ。井戸は東経99度で
日本標準時の135度(明石)とはちょうど1時間ほど違うのだがサマータイムを採用しているため、夏の間は1時間進むので日本時間と同じになるというわけだ。
出発準備をしていると管制塔から呼ばれた。昨日の顛末の報告書を出せというのだ。これだけで2時間ぐらいかかってしまった。
やっとそれが終わりエンジンをかけた後、また呼ばれた。検査官が修理の状態を検査するというのだ。
まあ、無理もない。飛行場がほとんど廃止されたような状態になってから久しい。ここは、少数民族のための飛行が継続しているのでかろうじて飛行場の機能を保っている。管制官によるとこのかつてはあたりに37のローカル飛行場があったが、閉鎖されて現在しよう可能なものはたった2つだけだという。
なんとか難関を突破し午後1時、離陸にこぎつけた。
今日のハイライトはバイカル湖横断だ。高度は1000〜12500m途中低い山がいくつか続いた。その間を蛇行しながら川が流れている。途中の風景はここまでとそんなに変わらない。
僕が操縦を代わってしばらくすると、大きな湖が見えてきた。バイカル湖だ。手前の山から一気に落ち込んでいる。
残念ながら手が離せないので写真もビデオも撮れない。
柳田機長はちゃっかりと自分のビデオを回している。回りを見物しているとコースをそれてしまうのでしかただない。
反対側の岸まで10分ほどかかっただろうか。
岸近くにはアオコみたいな水草が模様を描き、生活排水からと思われる泡が何百メートルも続いている。興ざめだった。世界で一番深く美しい湖。
ここもすでに汚染されているのだ。2時間ほどでチタ空港に到着。
燃料タンク隣に止めて給油。1742L入った。地面に足をつけた瞬間、蚊に襲われた。今までで一番しつこい蚊だ。
ホテルに向かうまで45個所も食われてしまった。
途中すれ違う車はほとんど右ハンドルだった。ということは日本からの中古車だ。モスクワではロマやんのように日本の中古車に乗っている人は少ないが、東に来るほど右ハンドル車の割合は増えて来る。
ロシアの自動車産業界ではそのために国産車の売り上げが大きく落ち込んでいるらしく、その回復のため2000年以降右ハンドルの車は乗れなくなるという。
着いたところは、今までで一番居住性のいいアメリカのモーテルみたいなところだ。
ツインベッドの部屋が2つづつつながった白くて気持ちのよいところだ。
大きな敷地は塀で囲まれバーからレストラン、サウナなどなんでも揃っている。多分、大都市からの長期出張者が使うのだろう。食事は可もなく不可も無し。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月20日

昨日送ってくれた車が朝8時15分に迎えに来てくれた。20分にAlexがバタバタと下りてきた。「何時まで寝とるんだ」と大将に大目玉を食らった。空港到着後、10時出発予定で準備をした。
昨日、着いたときはもう給油車の担当者がいないという事で今日、500L予備タンクに補給した。次のチタに燃料があることが確認されたので満タンにしなくてもいいのである。
この先は管制システムがまばらになるのでHF無線機がなければ飛行できないのだ。「昨日、途中で使ってみたがほとんど使えなかったからもし、きょう修理をして使えないのなら飛行は中止だ」とロマやんが厳しい顔をしていう。
アンテナ系がわるいと思っているので無線担当者にきてもらって調整したが、ダメ。結局アンテナを8mぐらい長くすることにした。
針金をもらってきて延長したが場所がないので尾翼から折り返しアンテナポールの根元に固定した。(例のアンテナ線は重量オーバーのためCheb止まりとなった)これで、4MHz台はなんとか使えるようになり、バイカル湖の近くのイルクーツクとテストをしたら電波は弱いがなんとか繋がったので1時に出発できることになった。
1時離陸。そのまま西に向かったのだが、10分ぐらいたったところで油温計の針が赤目盛りまで飛び込んでしまった。
大将は大事をとって引き返すことにした。
もどる途中でエンジンの冷却を調整するカウルフラップもおかしくなった。
すぐ、みんなが集まってくれた。
大将の考えではカザンで取り替えたオイルクーラーがひとまず、怪しいということで、そのとき交換前から付いていた初めから取り付けてあったクーラーに戻したいという。整備士たちはオイルにクーラーのカウリングが小さいから大きいのと替えたらいいだろうと言う。それをやってもだめで予備のクーラーと再度取り替えるこのにした。
そうこうするうちに、チタに到着できる出発のリミット2時を越えてしまったので今日は出発できないことになった。
昼前に出ていったヘリコプターが帰ってきた。これは、東側の山中に住む少数民族のところに行ってきたといって、そこでもらってきた魚をくれた。そこで、エプロンの端でその魚を焼くことにした。
ガソリンストーブを出してその上に針金を巻いてグリルにしてみたが調子が悪い。次にナベを出してみたがまだ調子が悪い。魚を切って小さくしてから焼こうということになってまな板の代わりになるようなものを探しに行くと、ペンキの缶のふたのような直径20cmほどのを見つけた。そうだこれにのせて焼けばいいぞ。そこで、ちょっと水をかけて
洗ってから魚をのせて焼いた。
マス科ではない。どっちかというとトビウオに似ていた。初めから塩をまぶしてあったのでそのままで美味かった。
味もトビウオそっくりだった。大将もこれは絶対トビウオやと言い張る。(胸ヒレが飛べるほど長くないが)
そのあと、HFのことで大将と怒鳴り合いになった。「こんな使えんもん、捨ててしまえ」というので、「借りてるもんやからおまえが金を出すのなら捨ててやるわい」ということになったのだ。チェコ出発前に僕が、アンテナの長さでマッチングがとれない可能性があるからテストをやろうというのに時間が無いとかなんとかいってやってないのだ。結局、アンテナを後ろで折り返して長くしたらなんとか最低限の連絡はとれるようになったのだ。
「この後は飛行場の間隔が長くなるのでHFが必須である。なければ飛行許可は取り消される」と本気で心配しているのだ。
もともとHAM用なのでオフバンド使うこと自体が無理なのだが、僕の方もアンテナチューナーのゼネカバ化する方法があるかどうかも聞いてもらえばよかったなあとは思ったのだが。4MHz帯はスルーで3〜5W程度、6MHz帯はチューナー経由で30Wぐらいは出るようになったのだ。
やっと、オイルクーラーの取り替えも終わりエンジンを回してのテストもOKだった。
今日は少し早く終わったし(日程は1日延びたが)皆シャワーにははいりたいというのでホテルはサウナ付きのところになった。
レストランはないというので昨日のところで食べてからそちらに行くことにした。
僕たちは、町を抜け川に沿ってどんどんと下っていく。少し不安になった。
着陸するときに見た街の中心は反対の方向なのだ。
8時を過ぎやっとロッジに着いた。ここは、日本でいうと小さな山小屋みたいな家がたくさんある。社会主義時代の夏にはたくさんの人たちがバケーションに訪れていたと思われるが今のハイシーズンでさえほとんど客をみかけない。
いかにも人の良さそうなロシア人と蒙古人の中間ぐらいの顔をしたおばあちゃんが案内してくれたのは2軒続きのコテージで木製の塀に囲まれ、トイレの小さな小屋と中くらいのサウナ小屋があった。
そうです、元祖シベリア式サウナなのです。僕たちより2週間ほど早くシベリアを横断したアメリカ人女性たちもこの小屋にとまったという。
それぞれの部屋には簡単なキッチンがついていて長期の滞在に向いている。そして広い部屋には3つのベットが置いてあった。
裏に川があるというので泳ぎに行った。はだしになってパンツと褌一丁で川の方に歩いていくとヤギがついてくる。ということは、道はヤギのフンだらけなのでよけていると時間がかかるので結局ヤギのフンヲ踏みながら河原に着いた。低い土手から降りると川砂でその先は砂利になっている。
水は浅く透明だ。上流にはニジノウヤンスキーの町があるので生活排水が流されている可能性が高いが、見かけはまあきれいなので水に入った。
始めはしびれるほど寒かったがだんだん気持ち良くなってきてどんどん泳いだ。川幅は400mぐらいで流れの幅は100mほどだ。
水流はけっこう早く、真ん中へんまで行ってしまうと岸に戻れず、北極海までいってしまうと思ったのでほどほどにしておいた。
最後に褌を洗った。西の更はきれいな夕焼けになった。すごく気持ちが良かった。現在の日本ではこんなに気持ち良く泳げる川はそうないだろう。
だんだん暗くなってきたので(カエルは鳴かないが)ロッジに戻った。
今度はサウナに入る。木造の小屋は3つに分かれており、初めの部屋にはマッサージ用の簡単なベッドと脱いだ着物を置く台がある。次の部屋は洗い場になっていてドラムカンに入った水と大きな盥(たらい)がある。その奥の部屋には大きな鉄製の四角な釜がある。一番下に薪が燃えておりその上には黒い石があって四角の穴があいている。そこに水を掛けて湿度と温度を上げるのだ。一番上は水タンクでもちろんあたためられてお湯になっている。反対側は三段になっていて一番上はうつむけに寝てシラカバの柴に水をしたして体中をしばく。
これが実に気持ちがいい。ロマやんにやってもらったが「これぞサウナの神髄」という感じだ。
水泳とサウナでぐっすりと寝た。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月19日
結局、ホテルに戻ってから電話の受話器経由で音響カップラを使って2回目のメール送受信はできたが、2回目送信中(6/8)の切れてそのまま繋がらなかった。
ホテルを出て直接空港に向かった。昨日は最高の天気だったのに今日は雨。
僕たちは普通の搭乗客とちがい、クルー専用のところからエプロンに入るのだが、今日のゲートのセキュリティーのおばちゃんは特に厳しくパイロット免許まで見せるようにと言われた。こんなことは初めてだ。
Anに行くとガストロックをはずしたりプロペラ回しをしたりして出発準備を急いだ。9時出発予定だったがなかなかロマやんが帰ってこない。
こちらは、イライラしながら待っているのに。待っている間に佐藤氏はお湯を沸かそうとすると大将に時間が無いと怒鳴られむくれている。Alexがロマやんを探しに行った。
コクピットから見ると地平線が見える。ま平らだ。やはりここはシベリアのど真ん中の大なだ。
一応雨は止んだ。Alexとロマやんが戻ってきた。11時に出発出来るという。Alexはターミナルビルからホットドッグを買ってきてくれた。
僕たちがTaxiwayに向かうと旅客機のアントノフ24も動き出した。僕たちの後ろを付いて来る。
結局、僕たちのアントノフはグラスランウェーから出発すろことになった。
ランアップ後、エンジンをフル回転にして飛び上がるのだが今回が一番重たいロード後になった。全員前にへばりついて普通の3倍ぐらいの滑走距離で浮いた。
滑走路お大きくターンしているとAn24が滑走を始めた。でもなんか変だなと思って良く見るとなんとAn24のもグラスランウェーを使っていたのだ。
今日はサヤン山脈を越えるので高度を今回最高の高度1万ftまで上げる。すぐ、山が迫ってきた。といってもまだ数百メートルの山だが。
この山を境にオビ川水系からエニセイ川水系に変わる。なだらかな山を川が大きく蛇行しながら流れていたがだんだん小さな川になってとうとう、見えなくなった。気温はそんなに下がらず14度くらい、暖房が効いているようだ。
少し雲が出てきたのでチャートで山の高さを確認すると2000メートル以上ある。わりあい平らないただきには少しずつ残雪が残っている。
そのうちに、雲が少なくなってまた川が大きく蛇行するようになってきた。この川はエニセイ川に繋がっているはずだ。
だんだん平地になってきて畑が多くなってきた。
午後4時半、ニジニウリンスクに到着した。
ここにも何十機ものL410とAn−2が並んでいる。まるで飛行機の墓場のようだ。
低い木造の管制塔があった。ここではうれしい誤算があった。燃料があったのだ。時差が1時間進んで日本と同じになった。
この町唯一のレストラン付きホテルに案内された。
みんなシャワーを浴びたいと言っていたがここにはシャワー付きの部屋はないらしい。
すぐ、食事をすることにしたが何やら派手な音楽が聞こえて来る。大小2つのグループがパーティーをやっていた。大きな方は15人ほどのグループで端っこのステージからでは3人のグループがキーボードを中心に演奏していたが、その音のボリュームがメチャクチャ高いのだ。でも、楽しそうにやっているから文句は言えなかった。
今日は特製の料理があるというのでそれにした。それと、茹でたイカ入りサラダ。
ダイグループの人たちは誰かの誕生パーティーらしく、ケーキも用意してあった。そのうちに何人かが踊りだした。
ロシアではちゃんとしたレストランはどこでもダンスができるようになっているらしい。
そのうち、だんだんとボルテージが上がってきてクマのように大きなおばちゃんがAlexに一緒に踊るように誘ってきたが彼は笑っているだけだった。そのうちにおばちゃんはツカツカとAlexの前に来て、腕をガバッと掴んて自分たちの踊りの輪に引きずり込んでしまった。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月18日
朝、アントノフから降ろした非常食を持ってレストランに行った。
無理を承知で電子レンジを遣わせてくれないかと頼むと意外と簡単にOKが出た。電子レンジではご飯とカレー、そして佐藤氏はあつかましくも鍋を借りて素麺に挑戦したのであった。
作戦は成功し、ロマやんを含め5人は大満足。ただし、佐藤氏は久しぶりの日本食にお腹の方が拒絶反応を起こし
ゲリピチ。
食後、切れたビザを延長するために外務省の出先機関へ行った。そのために今日は飛ばないのだ。ところが、出発以来の上天気。快晴、追い風。ああもったいない。でも不法滞在でシベリア送り(もういるのだが)は情けないのでガマンした。
イミグレの親分はすごく物分かりがよく、ロマやんの説明に納得して1時間後にもう一度来るようにと言う。たった、1時間でビザの延長ができたのだ。
その間、大将が着るものがなくなったといので買い物に行ったりカフェでお茶を飲んだりしたが、Alexは秘書の女性に人目ぼれ。彼女の名前はマリーナ。金髪にブルーの瞳がまばゆいとAlex。
彼はロシア女性を全て「ナターシャ」と呼んですごい興味を持っていたが「ナターシャはもう止めた。今日からマリーナだ」とぞっこん。すこし早目に行って、「親分に僕はビザはいらないから刑務所にいれて下さい。そしたら帰らなくてもすむから」などと真顔で頼んでいる。
前に座って話してみると、なんと彼女はドイツ語が喋れたのだ。Alexは次から次ぎへと質問をぶつける。
彼女は31才でAlexより1才年下、結婚歴11年で9才の子供有り、もちろん御主人も。彼女は「ドイツ語や英語の教師として来たアメリカ人やドイツ人男性はみんな奥さんを連れて帰るのよ、あなたもどう?」と言われ「うん、絶対に帰りに寄るからね」等といっている。
写真を撮ると「絶対にPavlaには見せないでくれ」と懇願された。たしかに、大将も言うほどこの町には美人が多い。「フランクフルトやロサンゼルスでは美人なんかにお目にかかったことはなかったがここでは10歩歩くと振り返りたくなるような美人に出会うよ」と歩きながらAlexは回りをキョロキョロ。
やはり外人は外人だなあ、日本人とは違って国際結婚なんか考えても見ないようだ。(当然のことと思っているらしい)
イミグレオフィスの出口でXEROXの看板を見つけたので、「ひょっとして」と思いインタネットのことを聞いてみた。
そこの男性はほとんど英語は喋れなかったが意味は分かったらしく「グローバルワン」というパンフレットを見せ、「友達がここにいるから行ってみたら?」と言ってくれた。これならなんとかつながりそうだ。
しかし、飛行優先。午後、腹下しの佐藤氏を置いて飛行場に行き燃料を給油。一応800Lだけだということになっていたがそれ以上は倍の金を払って1500L満タンにいれてもらった。
それから昨日使えなかったHF無線機をチェック。
アンテナのマッチングが悪いと僕は思っているがカルロビバリで出発前にやっておけばよかったのに・・・・・・・
結局アンテナを2m伸ばしてテストしてみた。受信はするがモガモガ音。もしかしてと確認すると、ロマやんはSSBだと言い張る。
ところが試しにAMに変えてみると今度はうまく受信。なんのことはない、電波のモードを勘違いしていたのだ。
4MHzぐらいはだめだが他のバンドは同調がとれた。
これで、明日は出発できる。この先はHFラジオがなければ飛行できなかったのだ。
全てが終わったのが6時。万事休す。もうインターネットは無理だろう。
ホテルに戻ったタクシーに頼んで念のため「グローバルワン」に行ってみた。バタバタと走り込むとドアは閉まっているが7時まで営業と書いてある。
「ああよかった」と思ってドアを叩いたが返事が無い。落胆したがもう一度たたくと返事がしてドアが開いた。
男性が独りいた。幸い、英語が喋れた。「インターネットにつなぎたんだけど」というと、「たしかにうちはプロバイダーをやっていますが、出納関係の者も帰ったし自分は技術者だから明日来てください」という。
ここで引っ込んだら男がすたる。「チェコを出発して10日間、モスクワからも繋がらなかった。
日本ではみんなが心配しているから10分でもいいから君のアカウントをを貸してよ」と頼むと男は苦笑いしながら
モデムケーブルにチェッカーをつなぐとほかのコンピュータからモジュラーケーブルをはずして渡してくれた。
自分がセッテイングするといってやってくれたがなかなかつながらない。
でも、結局、その会社のテスト用のアカウントを利用するとログオンした。
それで、メールが送れたわけ。
メールを受け取って一番、なんと同期の岸田君の死亡通知があるではないか。
死ぬほど驚いた。宝塚の花見に行ったのに、そのあと僕は出発したから花火大会にも行けなかったけど、7月ごろからMLに声がしなくなったのでなんでやろと思っとったら・・・・・
写真を送ったりして結局1時間半もかかってしまった。彼に申し訳ないとあやまって100ルーブルを渡すと「いらないよ」というが無理に渡そうとすると、「じゃあ半分だけ」という。でも小額の紙幣は持ってなかったのでそのまま渡してしまった。
そして、「悪いけど、もう1日だけ使いたいからパスワードを教えてくれない」というと快く教えてくれた。
ホテルに戻ると他の3人は食事に出たあとだったのでビールだけ飲んで部屋に戻ってゆっくりメールを読んだ。
よう読んでも岸田君の死因の敗血症とういのがわからん。
なんでや、なんで死んだんや、あんなに元気がよかったのに・・・・・・・
お悔やみのことばもないわ。
帰って岸田君をはじめ、みんなに話するのを楽しみにしとったのに。
今日お葬式らしいから行かはる人は、僕の分まで拝んできて。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月17日
朝食堂に行くとなんとアメリカ製だがカップラーメンがあった。試食してみたが普通の味だったので予備にひとつづつ買うことにした。
そのほかにソーセージライス、これはフライパンで暖めたソーセイージにケチャップをつけ一緒にご飯を盛り付けたもの。ご飯にかかっている油の匂いが悪いと言って大将は食わなかった。昨夜のバスが迎えに来てくれて空港まで行った。
出発準備をしていると色々なパーツを売りに来る。1個$10程度なのでいくらでも買いたいところだがウォッカのビンの中身も捨てるほど重量制限が厳しいのであまり買えなかったが主脚のストラットの調整用ゲージだけ買った。もう次に来ることがあってもその時にはないだろうなあ。
いろいろ話を聞いていると3週間前にシベリア横断に出発したアメリカ人女性が操縦するアントノフはベーリング海のところまで行って昨日クルガンに戻ったという。そうか、昨日すれ違ったやつがそうだったんだ。そうでなければあんなに高いところを飛ぶはずがない。
彼女たちはサンクト・ペテルスブルグからベーリング海まで6000Mを飛んだらしい。僕たちはチェコから日本まで7000Mだぞ。
みんなに見送られて出発。雲があるので5000ftを飛ぶ。時々、まばらな森と湿地帯が続く。
ウラル山脈の西はカスピ海に注ぐボルガ川の流域だったが東側は北極海にそそぐオビ川の水系にはいる。
大平原を川が大きく蛇行しながら流れている。3時間ぐらい経ってHFの無線を使うことになったが調子が悪いとロマやんが言う。僕がチェックするがなかなか調整できない。チェコを出る前にテストをやろうと言ったのに大将が「やらんでええ」と言ったのでやらなかった。今、悔やまれる。
着陸したらもう一度チェックしてみよう。
離陸直後から機内の予備タンクを使っているがどこかで漏れているようでガソリン臭い。頭が痛くなりそうだ。
Alexは時々タバコを吸うために後ろのキャビンにこもっている。

18日1900現在

バルナウルにいます。メールが遅れるかも?
奇跡的にシベリアのど真ん中バルナウルから送っています

8月16日
8時、いつもどおりトロリーバスで空港へ行く。今日は、ロシアの航空記念日だそうで全国的にエアショーなどをやるらしい。
空港の中にはたくさんの制服を着た兵隊の姿が見える。でも恐怖感はない。食堂はまだ閉まっていたので先にアントノフのところに行って出発準備をする。9時近くになってもまだ関係者がこないと大将がイライラしている。僕は今日は出発できないと思っているから気が楽だ。ウルトラライトがもう飛んでいる。ヤク52もエンジンをかけた。Alexと2人食堂に行った。まだ閉まっていたが、ねえちゃんが顔をのぞかせてくれたので、「これからクルガンまで6時間の飛行をするんだお願だからコーヒーぐらい飲ませてよ」とAlexが言うと中に入れてくれた。
僕は紅茶をたのんだ。奥では総出でピロシキを作っている。パーティー用だろうか、キャビアとイクラのオープンサンドも用意してある。
トントンとドアをノックする音が聞こえた。背の高いキリッとしまった顔をした女性が2人入ってきて紅茶を注文した。
Alexと2人で話しているとその1人が「失礼ですがどちらからいらしたんですか」と流暢な英語で聞いてきた。Alexはここに来た経緯を細かく説明した。
「へぇー、そんなに遠くまで行くんですか。私達はスチュワーデスだから雇って連れていってくれない?」といたずらっぽく聞いてきた。
「うん、パスポートを持ってるんならいいよ、でも日本まで1週間もかかるんだよ」とAlexが言うと2人は顔を見合わせて笑った。
そしたら、「2人一緒じゃなきゃダメよ」「2人じゃあ重量オーバーだなあ」みたいな会話が続いて、結局彼女たちは「じゃ、お気をつけて」といって自分たちの仕事に戻った。ねえちゃんたちはピロシキに肉を詰めていたが、僕たちの分だけ早く揚げてくれることになった。Alexがそれを待ってからAnに戻ることになり僕は先に戻って集まった飛行機の写真を撮った。
9時15分、大将とロマやんが戻ってきて「出るぞ」と操縦席に駆け込んだ。Alexもアツアツのピロシキを持って戻ってきた。
エンジン始動。ランナップを終り、集まったたくさんの飛行機とパイロットたちそれに警備のために並んでいる兵隊たちに見送られながら、9時25分離陸。飛行場を低く1回旋回してから大きく左右に羽根を降って「サヨナラ」の挨拶をしたあと、進路を東にとった。
今日は7〜9000ftで雲の上を飛行する。すぐ地上は見えなくなって雲の上に出た。眩しいが雲の海の上をエンジンを絞ってゆっくりと飛ぶ。
左側の雲の上にはブロッケンにかってAnの影が虹に囲まれて光っている。Alexが「アッ、向うから同じアントノフが飛んで来る」と叫んだ。
左側、少し高いところをグレーのAnがすれ違っていった。操縦を交代した。高度8000ft進路85度、コンパスとGPSだけを頼りに操縦かんを握る。エンジンの音だけが響き見えるものは青い空と白い雲。
ときどき夢見心地になってハッと気がつくと進路が10度ほどずれていたりする。至福の時だ。
11時半頃ウラル山脈通過した。といっても下には雲しか見えずチャートの上だけで確認したのだが。
時々雲の間から下の緑が見えるようになってきた。ボルガ川の支流なんとか川も見える。GPSで確認すると間もなくクルガンである。
大都会が見えてきた。シベリア最西端の町で人口40万だそうだ。
もちろんシベリア鉄道が通っており、上から大きな貨物ターミナルが見えた。飛行場にはたくさんアントノフが並んでいる。
メイン滑走路は横風だったので草地の滑走路に着陸。誘導されて農薬散布アントノフの隣に止まった。5〜6人の男達が集まってきた。
言葉は航空用語しか分からないがみんな人の良さそうな顔をしていて係留作業を手伝ってくれる。しかし、手伝ってもらっていて悪いのだががロシア人は作業が乱暴だからこちらがよく気をつけなければいけない。5分もしないうちにタンクローリーがやってきた。2日も待たされたカザンとはえらい違いだ。予備タンクも満タンにして1743L入った。明日はフルロードで出発できるが、水などかなりの荷物を捨てなければ飛び上がれない。カザンで買ったかわいい瓶に入ったウォッカも中身を飲んでしまうか捨てなければならないのだ。
給油が終わると今度はバスがきた。もちろんタダではないのだがすごくサービスがいい。町にはバスとトロリーバスがたくさん走っている。
最初のホテルは1人$130。シベリア価格、外人価格だ。でも満室で次のところに行った。ここは少し安くて空いていた。それにしても高い。
外人はロシア人の2倍なのだ。チェックイン後、ホテルの食堂に行ったら小部屋ですごい料理が並んでいたので入ろうとすると、そこは「会社の端きりパーティーだ」といわれた。まずビールとウォッカ。メインディッシュのステーキが出て来る前にパンとバターとイクラでほとんど腹いっぱいになってしまった。食後、電話局をさがした。ここではカザンよりもつながりが悪く30分以上待たされた。この町にはバーやディスコなどはほとんどないらしく若い女の人でもビール瓶を片手に歩いている。不思議なことに2〜5人づれの女性が多く、Alexによるとここは女性の人口が男性を上回っているらしい。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月15日
朝、事務局の高木氏に電話するとロマやんとAlexのパスポート番号を欲しいという。東京ではアントノフがいつ来るのかということが一番気になっているようだ。これは、だれにも分からない。
8時ホテルを出発。タクシーを待つが来ないのでトロリーバスに乗る。空港ターミナルで食事をしようとしたが今日は土曜日で休みらしい。
朝から清掃車がせわしく行き交っている。エアショーの準備らしい。
一応出発ができるようにプロペラ回しなどをして待つ。
ロマやんと大将は空港当局と交渉。救急Anは何回か飛び立ち帰って来るごとに給油を受けている。燃料がないことはないのだ。
催し用のテントなども立ち並んだ。昼食へはここについたときに行ったレストランに行った。ヌードルスープはチキン入りというのでマッシュルームに替えてもらったらすごくおいしかった。ここはパンも美味しいし、ちゃんとしたバターも出してくれる。
バスで戻ると、ちょうどエアショーの参加機が編隊を組んで飛んできたところだった。グライダーとトンボみたいな名前を知らないやつが3機づつ降りてきた。まもなく、エアロクラブの会長がジェット機で来るという。
ロマやんは彼が来たら直接交渉だと待ち構えている。昨日は給油OKだったのに今日はだめだという。毎日コロコロ変わり開いてをイライラさせる。
これが、ナポレオン以来のロシアの戦法らしい。シベリア抑留者の気持ちが分かったような気がした。
3時過ぎ2機のジェット機がローパスした。1機滑走路真上で翼を翻し急降下着陸してきた。それに会長が乗っていたらしい。ロマやんが交渉を始めた。ロマやんが戻ってきたので聞くと結果はダメらしい。
しかし、昨日いろいろと手伝ってくれた整備士がトラックを調達するから空港の端にあるガソリンスタンドから95オクタンの車用ガソリンを買ってきて入れようと言ってきた。アントノフはもともと田舎の設備が整っていないところでも使えるように作られているので95オクタン以上のガソリンならOKなのだ。ところが、30分ほどすると、タンクローリーが来て給油を始めた。ビックリしてロマやんに聞くと、エアショー関係者が揃ったところでもう一度燃料の話を持ち出すとすぐOKがでた、というのだ。良く聞くと、その中に、モスクワの航空局でロマやんと会ったことがある人がいて、その人がみんなを説得してくれたらしい。また、今回エアショーが開催されるのもプラスに作用したようだ。
そして、こちらが車用のガソリンを見つけてきたことも彼らに、給油を決断させる理由になったようだ。ずるがしこいロシア人は足元を見て値段を吊り上げようとしたらしい。これがロシアの現状だ。彼らには時間は関係無い、焦れば焦るほど彼らの思うつぼなのだ。
結局、1300Lがローリーから給油されたが、運転手に頼み込んであと3〜400L入れて満タンにしたかったがうまくいかなかった。
でも、次のクルガンまでは十分の量だ。
明日は9時半にエアショーのために飛行場が閉鎖されるらしいのでその前に出発しなければならない。
帰りはバスに乗って途中で乗り換えた。次のバスがなかなか来なかったので後ろの公園で客を乗せていたラクダを見に行った。フタコブラクダだった。動物園で飼育されいるのとは違い、家畜として飼われているのですごくおとなしく従順だ。コブにさわったら柔らかくてブヨブヨ動き気持ちがよかった。もっと見ていたかったがバスが来たので乗って昨日と同じホテルに戻った。
チェックインしたところでまた高木氏に電話をしに行った。電話局でデポジットをしてからブースから自分でダイヤルしてかけるのだがホテルからもかかるが電話代が10倍ほど高くなる。
今日はみんなほっとしたようなので歩行者天国の広場で食事をすることにした。ピロシキ・シシカバブ・ビールで100ルーブルほどだったかなすごく安かった。レストランで食うと500ルーブルではすまないのだ。そのあとバーで飲み直そうということになってさがしたがいいところがなかったのでホテルに戻った。僕は途中でアイスクリームを買った。イチゴとバナナ味が2ルーブル、バニラが1.5ルーブルだった。
モスクワで13ルーブルのアメリカ製のやつを食ったがそれより美味かった。
僕は、コーヒーとケーキを食いたかったがみんなはバーに行ったので先に部屋の戻って寝た。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月14日(曇り)
5時起床。送れないのだがメールを書き始める。佐藤氏も起きてきた。調子はどうかと聞くといくらかよくなったという。
昨日は持って来たカレーを食べたらしい。8時、ホテルのフロントに降りると軍人ばっかり、良く聞くとここは軍用のホテルで僕たちは特別にここに泊めてもらったのだった。路面電車に一駅乗った。一人1/10ルーブルだった。昨日、ただと言ったのは冗談だったというが、昨日は本当に電車賃は払ってないけど。
今度はバスに乗り換えたがすごいボロバスだ。排気ガスが車内が真っ黒になるほど充満するのだ。でもターミナルビルの前までバスは行ってくれたので大助かり。交渉を待つ間、食堂に行った。ピロシキの薄っぺらいやつと紅茶を飲んだ。Alexはここでもナターシャを探し出した。
食堂のおねえちゃんやおばちゃんたちはとても親切で愛想がよかった。回りには犬も猫もいたがみんな愛想がいい。
Anまで行ったらもう、オイルクーラーの交換が始まっていた。僕たちのAnはポーランド製だからサイズがちょっと合わないというが取り付けを工夫してOKになった。次はストラット。ジャッキアップしてオイルを補給してエアを充填する。
僕とAlexはまた、Anショッピングに行った。でもめぼしいものは見つからなかった。MI8があったが外側タンク上と内部にも増槽をつけてあった。7時間ぐらいとべるのかなあ。
戻って来るとほかのMI8が出発準備をしていた。中を覗かせてもらうとVIP仕様だった。操縦席にはロシア製GPSの装備されていた。
戻ったら作業が終わっていたのでエンジンテストをした。11時から首相が来るということでエアスペースが閉鎖になるのであわてて外に出た。
ターミナル前からトロリーバスに乗った。こちらは排気ガスがでないから当然中にも入ってこない。ボロだけどクリーンだ。
町の中心で乗客がみんな降りるところで一緒に降りた。交差点の向かいにあるのが今日止まる予定のホテルだ。
この町一番のホテルらしい。名前はタタール、1人$60とちょっと高いが決めた。先に食堂で昼飯を食う。あまり特記することはない。
午後、ロマやんは大将と一緒に燃料の手配の電話、後で空港に行った。佐藤氏はホテルでビールを飲みながら休養。僕たちはなんとかメールを送る方法を考えた。僕とAlexはPCを持って出た。まず、電話局を探した。言葉が通じず困っていると老人が英語で話し掛けてきた。その人に通訳してもらったがタタール人という。英語はどこで習ったか聞いたら学校と答えてくれたが急いでいたのであまり話ができなかった。電話の使い方がわかった。
先にデポジットしておいて自分でダイヤルをまわしてかけるのだ。8−10のあとナショナルコードから続けるがなかなか繋がらないと思ったら、相手が応答したら白いボタンを押すのだった。アクセスポイントにつないだがだめだった。
AlexはPavlaにかけた。モスクワではGSMがつながっていたがここではつながらなくなったので心配していたらしい。
家族が次々に代わって電話口に出たそうだ。そのあと、僕は事務局に電話をした。こちらも書類の提出期限があり何時着くのかと心配していたので、未定だと答えた。その後、町を散策した。メインストリートは歩行者天国になっていて一番の目抜き通りになっているらしい。
しゃれた商店やカフェが並んでいた。向うから派手に着飾った連中が歩いて来るなと思ったら結婚式を終わったばかりのグループだったが花嫁は普通の西洋式だった。そのあと2組も見たので今日はロシアの大安吉日かなあ。3ブロックぐらい歩くと工事中になった。街路も改装工事だろう。
そこを左に曲がると運河に出た。これもボルガ川に繋がっているのだろう。ここはボルガ川流域の町なのだ。近くで露天の本屋を見つけ、Alexは露英辞典を買った。となりでは果物を売っていた。ニュージーランド産キウイとバナナ、これはキューバからかなあ。メインストリートに戻ってカフェに座り
メンウォッチ(ウイメンウォッチ)をした。歩く人の顔は様々だ。スラブ系、ゲルマン系、アラブ系、モンゴロイド系本当にいろいろな髪の毛、目の色、顔の形がみえるが、ラテン系と黒人は見なかった。コーヒーはエスプレッソだったがうまかった。
ビールの土産を持って部屋に戻ると佐藤氏がエアロクラブから電話があったという。Alexがかけてみると南40Kmに燃料があるというのだ。
まもなくロマやんたちが帰ってきたのでもう一度電話してもらった。燃料はあるがそこまでの飛行許可が無い。持ってきてもらいたいがそちらには輸送手段がないという。なかなかむずかしい。空港の連中は今日は首相が来たので忙しいというから明日にしようということで食事に出た。レストランはあるが満席というところやドレスコードがあったりで結局ホテルに戻ることにした。途中、店でカザンウオッカを買うとブランデーは絶対美味いから買えと
ロマやんに言われたので買った。ホテルの衝動の隣のテーブルに派手に着飾った女性が2人座っていた。
ロマやんは金髪のほうに興味をもったらしくダンス音楽が始まるとダンスの相手を申し込んだ。結局5〜6回踊っただろうか。

明日は、この先はどうなることやら。

16日6時現在
昨日、燃料1300L補給を終わる。16日夜または17日朝までに
連絡なき場合はクルガン向け出発したものと考えてください。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月13日(雨)
朝、6時ドアを叩く音がする。佐藤氏だった。「大将に帰れといわれたからもう今日帰るから、帰りかたを教えて欲しい」という。
話を聞くと、僕が寝た後、飲みながら話をしていて佐藤氏が「こちらはいいけど、日本に帰ったら操縦席に座らせてくれ」と言ったら、怒り出して「もう二人で帰れ」と言ったらしい。「そんなら一緒に帰ろうよ」といって僕はモスクワ発のタイムテーブルを調べた。
「10時に乗ればAMS乗り継ぎで翌日成田に帰れるからそうしようよ」といって荷物をまとめた。
8時前にAlexが来た。「飯に食おうよ」というので「2人で帰ることにしたよ」というと、「今日は何とか飛べそうな天気だからちょっとガマンしてよ」と哀願するように言う。「機長の権限で帰れというのなら、実際のオーナーは佐藤氏だから、オーナー権限で機長を解雇しアントノフは分解して船便で送ろう」と佐藤氏が言う。
コーヒーと紅茶を飲みながら話していると大将が来た。「どうするんだ」というから、「2人で帰ることにした」というと、「それがいい、どうせお前たちはお荷物なんだから」と言う。佐藤氏は「自分が呼んでおきながらお荷物とは何だ」とやり返す。僕は「機長権限でそういうのなら、佐藤氏はオーナー権限で機長をを解雇し、機体は陸送する、と言っている」と続けた。Alexは「ここはホテルなんだから静かに、静かに」と気を使う。
結局、佐藤氏も「どこかで、妥協をすべきだな」と言って、「日本に着くまでは口出ししない」ということで今日は飛行場に行くことにした。
雨は上がっている。ターミナルにつくとまず、佐藤氏のために浣腸を買いにいったが、日本のような「いちじく浣腸」はなくてレンズのブローワーのようはやつの大きのに石鹸をいれるというやつしかなかった。
もどってすぐアントノフに行き出発準備。例によってプロペラまわしから始める。その後、しばらくスタンバイが続いたが、11時40分頃、ロマやんが
カバンを持ってやってきた。「これはOKだ」みんなで小躍りした。ロマやんは親指を立ててにこっとと笑った。
11時55分、エンジン始動。少し風が強いが普通通り離陸。全員が操縦席後ろにへばりついていたのは言うまでもないが。
第2ターミナを取るルを回って西側に進路を取る。天気が悪いので超低空の1000〜1800ftで飛行を続ける。下には小さな家とそれを囲む庭が続いている。帝政ロシアの時代からこんな家は残っているのかなあなどと思いながら進む。その次には大きな1枚の畑が延々と続いた。
これはコルホーズかなあ。時々、雲が出て視界がゼロになる。森と畑が交互にあるが森は殆どが白樺だ。GPSでフォローすると、VFRをフォローしながら、順調に飛んでいる。機体がゆすられるので操縦かんを握る手が硬くなる。
4時前、大きな町が見えてきた。カザンの町だ。国際空港ではなく、郊外の小さな飛行場に着陸した。
タキシングしていくとL410が整然と並んでいるが良く見ると、エンジンがはずしてありプロペラもない。その向うにはアントノフが並んでいる。10〜20機もあろうか。なんか古い友達に再会したようで嬉しくなった。
向かいには大きなハンガーがあるが、なんせみんな古い。MI8やMI2ヘリコプターもたくさん止まっているが殆どはジャンクだ。
4〜5人が集まってきた。ロマやんが話す。燃料があるかないか、それが問題だ。
「燃料はあるのだが緊急用だから売れない」というのだしかただない。自動車用の95オクタンのガソリンをドラムカンに詰めて買ってこようということになったが、整備ができるのでやっていかないかという。オイルクラーが$100で交換できるという。いい機会だから左脚のストラットもなおそうということになった。明日は、11時にヤコブレフ首相がこの町に来るからエアスペースが閉鎖になるという。給油して整備していたら11時には間に合いそうにないから明日もここに沈没かと少し暗くなった。
双眼鏡で回りを見ていると飛行場のはしっこに壊れたアントノフの胴体が見えた。そこで子供が遊んでいたので、Alexといっしょに覗きに行った。
もちろん、整備士の許可をもらってからだ。多分、事故を起こしたのだろう外板がはがれているが操縦席の形はあった。ここを子供たちが遊び場に
しているのだ。僕たちが行くと4〜5の男の子が集まってきた。なんと、英語を喋った。学校で習うのだろうか。
「オッ、操縦席には計器類がそのまま残っている」とAlexが喜ぶ。僕たちのアントノフに欲しいパーツを探しているのだ。ガストロックのバーを見つけた。それから、足りないシートベルトも。Alexが天井を見てまた叫び声を上げた。「天井板がある、僕は純正のものは初めて見たよ」という。その板も外した。整備士に「もらっていいか」と聞くと片目をつぶったので100ルーブル渡したら、えらく喜んだ。期待してなかったらしい。
そのへんに捨てられているものだから。
そのあと、オイルを補給しているとまた、2人の整備士がやってきて「オイルがあるけどいらないか」という。質をしらべるとOKだ。
「30Lほどあるかなあ」というとポリタンを持っていってオイルを入れてきた。300ルーブル渡した。彼らは大喜びだ。出所は問わない。僕たちには
必要なのだから。あとはガソリンだ。
10時近く、やっとロックアップして飛行場の外に出た。ここから10分ほど歩いて電車に乗った。電車賃はただだという。
2駅で降りたがなかかかほてるが見つからず、歩いてる人にたずねてやっと見つけた。これは全てロマやんがやってくれたのだが。
部屋はツインの部屋を3つもらった。佐藤氏は浣腸のためホテルの残った。ストーブと食料は持ってきてある。
4人は歩いてレストランに行った。音楽がガンガンかかっており大理石の床の大きなホールの端にテーブルがいくつか並べられている。
まず、例によってビールとウォッカだがビールは黒しかなった。ウォッカのビンはすごく良い形をしていたのでフタごと貰うのを予約した。
突然、聞いたことがあるような音楽が聞こえてきた。「小指の思い出だった」
演奏している男の方をみると笑っている。大将が金を集めてチップを届けに行った。何曲か70年代の曲を演奏した後、男はテーブルに来て礼を行ってくれた。英語がかなり分かるので聞くと、東サハリンに住んでいたが2年前地震がありその後こちらに来たという。の本の放送が聞こえるので日本の歌を覚えたらしい。スープはボルシチ、メインコースは肉のチーズ挟み焼きだった。途中で眠くなって寝た。
気がつくと12時、もう看板の時間なので店を出て歩いてホテルに戻った。途中、佐藤氏のためにビールを買ったが1.5L入りのペットボトルに入っていた。部屋に戻ると佐藤氏はうんうんとうなっている。どうしたのか聞くと、出ることは出たが、まわりを痛めてしまったのだという。
気の毒だがなにもしてあげることはできなかった。
ベッドの上にシーツが置いてあったが面倒くさいからその上に寝てると蚊に刺されたので起きてシーツを敷いて毛布に包まって寝た。

8月14日17時35分(現地)現在、燃料不足のためカザンで滞留中

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月12日(雨)
今日も強風と雨でだめだとロマやんからの電話でわかった。だから、ロマやんは9時ごろ来て市内観光でもしようかということになりほてるを出た。市内までおよそ20分、小雨は降り続いている。市内を感情に回っている道を通っていたときこの近くにヤクを作っている会社があるよと、ロマやんが言った。大将はとたんに停車を命じた。すぐ、その会社に行こうというのだ。
サンタモニカの零戦がヤクの工場で復元されたとき一緒にそのレプリカを作ったので、もしできれば、もう一機を作れるのか、作れるとしたらいくらかかるかを知りたいというのだ。まず、便秘の佐藤氏のために、薬局を探し薬を買った。
雨に濡れながらあちこちと町を歩きまわり何回も尋ねて、やっと「こころらしい」というところにたどり着いた。
1回の受け付けでいろいろたずねた結果、やっとヤク社の担当者を探し当て電話で話しができた。大将は一応満足。
そのあと、クレムリン前の駐車場に車を停め歩いて中に入る。雨が降っているというのに結構観光客が多い。
写真やニュースで見たことがある建物が見えた。雨が止まなかったから早々に引き上げた。途中、イタリアレストランに入ってイタリア料理を注文したのだが、そのあとシェフスペシャルのほうが安い(80ルーブルぐらい)ということがわやり急遽変更。
Alexはウェイトレスのめがきれいだから写真を撮ってくれというのででは一緒に撮ららせて貰えばというと、だめだPavlaが焼きもちをやくから彼女一人だけでいいよという。アメリカ人はロシア女性のことを「ナターシャ」と総称しすごく神秘的にあこがれを感じているのだという。「ブルーの瞳と黒い髪、それを見ただけでたまらないなあという」。そのウェイトレスは金髪だったが。
注文したのは、水餃子みたいなものにホワイトソースがかかっていた。中華風みたいなものだったがけっこううまかった。
そのあとターミナルに行き、エンジンだけ回してみた。その時に、ゲートを開けてくれた小柄な女性を見てAlexは「彼女こそぼくのあこがれのナターシャだ」と言う。カムフラージュの制服を着てやっぱりブルーの目をしたかわいい女性だった。旧ソ連ではこんな女性たちをスパイにしてアメリカ人から情報を手に入れていたのかなあ。そういえば、「007」にもこんな女性が出てたかなあ。
今日はホテルに戻って食事。いつもの通りビールとウォッカ1本を注文。途中で眠くなったので近くに24時間ストアがあったのを思い出しアイスクリームを買いに行った。帰りに警察官に誰何された。やっぱりパスポートとビザはいつも持ってないといかんなあ。
部屋に入って風呂に入っていると(バスタブはあったが栓がなかったので靴下を穴に詰めた)ドンドンとドアを叩く音がした。でもどうせまたいたずらだろうと思って寝た。

8月11日(雨)
朝食後、ロマやんの車で第2ターミナルに来た。先に、タワーの下のゼネラルエビエーションに行って天気を見る。しかし、そこに入るまでが、大変。パスポートのほか、ビザと操縦免許までチェックされた。
起床レーダーにはびっしり雨雲が写っている。天気図を見ると、モスクワの上に大きな低気圧があり停滞している。そして、西から南東にかけて前線が続いている。とてもすぐ回復するような天気ではない。
VFRでは絶対だめだ。IFRにしようとしても気象レーダーを持っていないと飛行許可がでないという。昨日のラウンジに移動しスタンバイする。
12時現在、天候の回復は認められない。VIPのチェックインカウンターの電源を借りてPCを開く。モスクワのAPまでは繋がるが、ID・PWを認識しない。AT&Tのワールドネットはあかんで。ID・PWを認識してくれへん。頭に来るなあ。
14時、アントノフでスタンバイということになりマイクロバスで移動。ガストロックなどを外し、いつでも出発できるように準備する。
機内にはかなり、雨漏りがしている。雨脚が強くなると、右の翼の根元の送風機の根元から直接ジャンジャンと漏って来る。
しばらくして雨が止んだので、ガムテープで応急修理。プロペラ回しもしてオイルを抜く。ロマはまだ来ない。カザンまで4時間として、時差が1時間。4時に出たとしたら9時到着。もう、日没になる。もう無理だ。
そのとき、JAL444便が下りてきて第1ターミナルに向かった。7月25日にAMSを発って以来、初めて見るJA登録の機体なのでなんとなく、懐かしい気がした。
4時過ぎロマやんがやってきてやっぱり今日はアエウェイがクローズされているのでだめだ、と言ってきた。
あきらめるしかない。帰りに、車のパーツ屋を回って燃料用のパイプをさがした。今、日本の国道沿いなどにある、カッコイイオートショップと違い、ゴチャゴチャしていて、日本の昭和30年代のパーツ屋のようだ。やっと細いのだけ見つけた。
帰りにレストランに寄った。なんと、魚がある、というので半信半疑で注文してみた。サーモンはすぐ分かったがパイクというのはスズキだったかなあ、などと思いながら注文。そのほかブラックキャビアとレッドキャビアがあるという。(これはロマやんが英語に訳してくれた)良く聞くと、ブラックがほんとうのキャビアでレッドはイクラらしい。両方注文したが、ブラックの方は無くなったと言われた。パイクがものすごく美味かった。サーモンも美味かった。イクラも美味かった。5人でビールとウォッカを飲んで560ルーブルほど、結構安い。薬局があったので歯ブラシを買った。
今日は、4人ともシングルの部屋だった。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月10日(雨のち晴れのち雨)
朝から、AT&Tにつなごうとするが、全くだめ。ラインチェッカーでテストすると、全然LEDが点灯しないのだ。カップラーも使ってみたがやっぱりだめだ。深夜から降っていた雨は7時ごろには上がって晴れ間も見えてきた。僕たちは7回の部屋に2人づつ泊まったが、朝食はこの階にあるバーで
とることになっていた。サンドイッチが1つあったが先にAlexに取られてしまった。残りは、細いミートボールみたいなやつと、ミンチを卵で固めたもの
それに麦?だった。後、チキンの中に野菜などをつめてコロッケみたいにしたのと、チキンのふとももがあったが、僕には関係が無い。
コーヒーは思ったほどまずくなかった。というより、チェコのコーヒーよりずっとましだった。
食事中にロマやんが来て一緒に食べた。9時から、大使館が開いているので行くことになっている。今日は月曜日だから道はかなり混んでいた。
青空も見えてきたのでビデオカメラを回しながら行く。窓を開けると肌寒い。道ゆく人は殆ど長袖のシャツか上着を着ている。
ロマやんはせっかくだから市内をちょっと案内してから行こうといってくれた。あまり、興味を掻き立てられる町ではない。強いて言えば赤の広場と
ボリショイ劇場ぐらいは見たかったがそこは通らなかった。市内は一方通行の道も多い。なかなかたどりつけず、しまいには200mほどバックしてやっと領事館に着いた。
中に入ると・・書記官が「お待ちしていましたと、にこやかに答えてくれた。彼の説明によると、絶対中2日はかかるのだが、この前の橋本・エリツィン
会談以降日・ロお互いにいいムードになっているので処理も早くできるようになったという。結局、事務局の書類が間に合わなかったので、彼の判断でロマやんが働いている、エアロフロートに身元保証を頼んだという。しかし、彼は今回はクルーとしてエアロフロートの飛行機に乗るわけではないので、どうしてもビザが必要だという。ビザは15日間有効だった。
領事館を出て、車で出発しようとすると、エンジンがかからない。バックしたときにスモールライトを点灯し、消すのを忘れていたのだ。
領事館の前は緩やかな坂になっているのでよろよろと下って少し広くなったところに停車した。ボンネットを開けたがやっぱりバッテリがだめだ。ロマやんはいろいろな車に助けてくれるように頼んだが、OKしてくれた車にケーブルガなかったりして時間がかかり、空港に着いたのは結局、ひる頃だった。出発準備をしていると再び雨が降り出した。
最後のブリーフィングに行っている間に雨は強くなり雷も光った。結局2時間後に、気象レーダーを持っていないから今日は飛べないということになった。また、燃料のコックを閉め忘れたために、左メインタンクの燃料が全て、飛びタンクに下りてしまい、左右の重量バランスが悪くなったのでこのままでは、離陸できないという。
しかたないので無理を覚悟でバッテリーを使って翼タンクに燃料をくみ上げた。自分でコックを開けておきながら、説明もしない。
そして、「お前たちがよく見ておかないからだ」と怒鳴る。こちらも頭に来たから、怒鳴りかえしてやった。
そしたら、佐藤氏がまあまあと止めに入った。
同じホテルに戻った。
ロマやんは一度家に帰って息子を連れていた。21才で大学生だという。昨日と同じ物を注文したが、スープは違っていた。みんなはうまいと言ったが
僕は昨日のスープのほうが好きだった。黒ビールとウオッカを飲んだので途中で眠くなり部屋に戻って寝た。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月9日(雨)
起きると、心配したとおり雨。6時30分、暗い気持ちで食堂へおりる。すぐ出発できるように荷物は全て持って。
食事は期待してなかったから、このバイキングはけっこういけた。6時45分。前日頼んだタクシーが待っているので空港へ。
まず、ブリーフィング。天気はよくない。かなりの向い風らしい。前線の南側を行くことになるのだ。
アントノフに入るとまたも燃料漏れ。また「お馬さん」のお世話になり止まる。
雨の切れ目を待って、給油。今日は、補助タンクも満タンにする。1600Lほど、入った。モスクワにはAVGASがない。この燃料でKAZANまでもたせる必要があるのだ。それから、注文していたオイルがまだ来ないので一旦ターミナルのもどった。Alexは「腹減った、腹減った」とさわぐ。バーが開いていたので佐藤氏はビール、僕とAlexはサンドイッチを半分づつ食った。昨日事務局に連絡できなかったのでカードで電話をかけてみたら、意外と簡単につながった。しかし、3分ほどで切れたのでもう1枚を買って残りの話をした。
少し、風も収まり雨も途切れたので出発することにした。最初からスケジュールを遅らせることはできない、先に何が起こるのかわからないから。
ただでさえ重量バランスが悪いので全員、操縦席のすぐ後ろにへばりついていなければいけないのだ。
ふつうの3倍ぐらいの距離を滑走してなんとか浮き上がった。
高度1500ftで20分ほど飛んだだろうか。雲の中にはいってしまった。VFRから、IFRに切り替える。アントノフの不完全な装備でのIFRはかなり難しいのだがこのあたりは飛んでいる飛行機が少ないだろうから。
1時間ほどでラトビアとの国境を通過。ときどき雲間からみえるのは畑ばかり。ロマヤンが緊張してコパイ席に座る。LBNというVORで進路を東に変えた。30分ほど飛ぶとロシア領内に入る。「やっほー、おれたちはロシアまで来たんだ」と、Alexが叫ぶ。
ときどき誰かが動くたびに機長が怒鳴る。「前に来い、前に」
両側をアルミ製のタンクに挟まれたキャビン前部は幅が60センチほどしかなく、もちろんいすもない。立っているか、床にしゃがみこむしかないのだ。その後ろには右側3席、左側2席のシートがあるが進行方向に直角に座るので気分がよくない。やっと、シートの前端に前向きに座ると落ち着くことが分かったが、目の前と足元を燃料の配管が走っており、コックを蹴飛ばしたりして気がつかなければ燃料切れでエンジンがストップして不時着ということにもなりかねないのだ。またもAlexが腹減ったという。機長が重量制限をしたので魔法瓶を持ってこれなかったから、お湯がない。
だから、乾燥食品も食えないのだ。試しに水でビーフシチュウを作って見たらまずかった。お湯を使えばあんなに美味しいのに。
讃岐の醤油まめを開けてAlexに食わせたがお気に召さなかったようだ。彼はパンを探し出してちぎってたべた。結局醤油豆は僕が一人で食べた。
雲間に見えるのが森から湿地帯に変わってきた。小さい池がそこかしこに見える。
ロマヤンも腹が減ったのかパンを切って食べた。佐藤さんはウイスキーを飲んでいる。寒いのだ。気温は10度前後だ。始め7200ftに上がったら窓が凍りはじめたので5000ftまで落とした。アイシング翼やプロペラに氷が着いて重量が増えたりバランスが悪くなって墜落することもあるのだ。
みんな、ジャケットなどを出して着た。僕は半袖のシャツを着ていたが、その上にツナギを着ている。ガストロックをはずしたり、プレフライトチェックをするときに着るのだが寒いので着っぱなしだ。
ときどき見える地上は、森を切り開いて作った畑が所々にある。東に進むにしたがってだんだん畑の割合が増えていく。
雨が止み、雲も晴れて下がよく見えるようになった。真っ直ぐな大きな道路が走っているが舗装はされていない。時々、村も見える。走っているバスも見える。すぐ右手を走っている貨物列車を見つけた。ディーゼル機関車が2台で引っ張っているが最後尾は見えない。
良く見ると列車との距離が全然開かない、殆ど同じスピードなのだ。同じ方向に走っていた列車はそのうち、北の方に進路を変えて見えなくなった。やっぱり汽車といっしょだと気分が悪いなあ。スピードは64Ktだった。「右手に飛行場が見えるよ」とAlexが教えてくれた。
双眼鏡で見ると、グレーのアントノフが4機並んで止まっている。この時、「ああ、アントノフの故郷、ロシアまで来たんだ」という実感が湧いた。
飛行も安定してきたので僕と佐藤さんが交代で操縦かんを握った。雨の中ほどガタガタしない。ロマヤンが操縦したがるので僕たちの出番は少なくなってきたが、やっぱり飛行機は操縦かんを握ってコクピットから外を見なければ面白くない。
だんだん見える町が大きくなってきた。GPSはモスクワが近いことを示す。ロマヤンがインカムで「あの右手がモスクワだよ」と教えてくれた。やっぱり、大都会だ。柳田機長と操縦を交代した。だんだん、滑走路に近づいていく。止まっているのはエアロフロートだけだが2〜30機はいるだろう。
やっぱりロシアだ。モスクワの東Sheremetyevo空港に到着した。いつもなら、すぐ降りて駐機の準備にかかるのだが、ロマヤンが待てという。
カーキー色の制服を着たすごい美人の女性が近づいてきた。ドアを開ける。まるで、「まだ、バリバリの共産党員よ」というような顔でツンとすましてパスポートとビザを出すように要求した。ロマヤンが挨拶するとほっとしたようにニコッとした。「乗客は何人ですか」と流暢な英語で尋ねられたので、「乗客はありません、全員クルーです」と答えた。その後、税関吏が来て「積み荷は?」と聞くので「なし」と答える。
その後、降りてもいいといわれたのでチョークをかけガストロックをつけた。マイクロバスが来てターミナルまで連れていってくれた。
ちいさなVIPラウンジみたいなとこだ。この飛行場には近くの国からの国際線と自家用機だけが着陸するのらしい。
ここでは、所持している外貨を申告しなければならない。今では、アフリカの国でもそんな制度は無くなったのに。
持っているカメラやコンピュータも記入するように言われた。機長は「タヌキがこんな小銭ばっかり用意しやがって」と怒っている。タヌキ氏は、「高額紙幣だとどうしてもお釣を現地通貨でもうらわなければいけないから」とわざわざ細かくしてくれたのだった。
ラウンジがあったので、申告書を書く間にだれかがビールを買ってきたので飲みながら書いた。
やっと外へ出た。着陸したのが6時、モスクワ時間で午後8時だったがもう9時半をまわっていたがまだ明るい。
ロマヤンの右ハンドルのシビックに乗った。しばらく走ってホテルに着いた。僕が予算が限られているのでやすいとこにして欲しいといってあったので
ロシア人しかいないところに連れてきてくれた。僕たちだけでは絶対行けないところだ。チェックインにすごく待たされたがロマヤンの計らいで先にいた人たちよりもずっと早かった。
もうレストランが終わるというので先に食うことにした。期待していなかったのですごくうまかった。前菜の「キノコのチーズとじ」みたいな奴が特に美味く、ボルシチも美味かった。ステーキはちょっと硬かったが味はよかった。
部屋に入るとバタンキューだった。僕と佐藤氏が寝ていると突然大将が入ってきた。「荷物はどうした」というので探すと、置いたところに見当たらない。かばんとビデオカメラとシャツとぼうしまでない。慌ててさがしたがないので焦った。「あんなに、寝るときはロックしてだれが来ても開けないように」といわれてしゅんとした。
でも、あとで僕たちを引き締めるためのいたずらだとわかってほっとしたが、佐藤氏は「せっかく寝ていたのに」とぼやいた。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25

8月8日
朝5時起床。天気は快晴、絶好の飛行日和。最後のメールを送る。
8時、ロマヤンを起こしに行くと(近くの民宿に宿泊)まだ起きてない。外から大声で呼ぶと「5分待って!」という返事。
よく寝たということだからいいことだ。Alexと近くのミニスーパーに水を買いに行く。行ってビックリ。ものすごい人なのだ。Alexのよると土曜日の朝は、この近くの主婦はみんな朝食の用意のため、ここに買い物に来るらしいのだ。水は1.5ダースしかなかった。僕はチョコレートも買った。
家に戻って朝食。お別れの記念撮影のあとロマやん、佐藤氏、僕はPavlaのおとっつんの車で出発。大将はABASの親父と別の車で飛行場に先行。AlexはPavlaと最後の別れを惜しみながら最後に家を出る。おとっつあんはすごくいい人でカルロビ・バリの町を案内してくれるという。まず、朝行ってミニスーパーに行くのでなんでやと思っていると名物の温泉煎餅とアプリコット・ウオッカそれに新聞を買ってくれたのだ。もちろんチェコ語だから読めるはずはないいが喜んで受け取った。
今日は土曜日のせいか、規制区域にそのまま、入って行けた。ここで一番鮮やかなロシア正教会の前で停車。中まではいるとプラハでみた教会とはちがい質素だが管理がよく行き届いている。皆、入り口で十時を切って入るので僕もそれに従う。中に小さな売店があったのでカルロビ・バリの英語のガイドブックを買う。その後、前に歩いた中心部を通ってつづら折れの道を上がって飛行場に向かう。途中、見晴らしのいいところで2回も止まってくれた。アントノフに行くと大将がバタバタしている。新たな燃料漏れが見つかったのだ。
工具も置いて来たのでえあろクラブで借りてまた馬の毛を使いツナギ目を締め直す。幸いにも止まってくれた。
12時15分、予定より2時間ほど遅れて出発。
僕はエンジンスタートを外から撮影し、タキシングするところまで撮った後飛び乗った。離陸後、配管から燃料が逆流してそとに出ているのを発見。空気抜きのホースを外に出していたために「ベルヌーイの原理」で吸い出されたらしい。ホースの先を引っ込めることで問題は解決。これで、絶対に禁煙だぞ。ロマヤンはパイロットで60年代の始めにアントノフで操縦を習ったいう飛行時間も6000時間を超えるベテランパイロットだ。
なにかモゾモゾしているので、「操縦かんを握りたい?」と聞くと嬉しそうにうなずいた。エスコートと言うのは目付け役だから普通は威張って座っているだけだからよほど嬉しかったらしい。久しぶりの操縦らしく高度が安定せず始めはフラフラとはしていたが、すぐなれて自由に飛びはじめた。
自由すぎてコースを時々離れるのでコパイ席のAlexはちょっとヤキモキしたようだが結局3時間半も操縦した。僕と佐藤氏は全然操縦できなかったのでちょっと不満だったが、あんなにうれしそうにしているから代わってくれとは言えなかった。その間、大将は高いびき。出発できたことでほっとしたのだろう。プラハ郊外をぬけ1時過ぎに国境を越えて、ポーランド領に入ると豊かな田園地帯が続く。GPSで見るとチェコとちがいとたんに飛行場の数とVFR(航行援助システム)が減った。改めてチェコの飛行機事情に感心。
僕はお土産にもらった温泉煎餅を出したり、カシューナッツの缶やチョコレートと水を出したり、スチュワーデス役だった。しかし重量バランスの問題があるので後ろまでは行けない。少なくとも一人は操縦席の後ろに張り付いておかなければならないのだ。
大将は途中で起きて配管のチェックをしたり、留め金をかえたり後再びバタン。
ワルシャワの北を抜けて4時半リトアニア上空に入る。5時前かなり大きな町が見えてきた。これがカウナスだった。
5時5分、着陸。すぐドアを開けて撮影しようとしたが、止めた。イミグレと税関がきたがすごくフレンドリーだ。撮影してもいいかと聞くと「ここはだだロシアじゃないよ」と言ってニッコリした。
佐藤氏は駐機の準備が待ちきれずトイレに駆け込む。操縦しないときはいつも飲んでいるのに今日は飲まなかったので調子が悪いらしい。
タクシーが来るままで時間があったのでビールでも飲もうかと空港内のバーにはいるとなんと、ロマやんがおごってくれた。
「1回だけだよ」と言って笑いながら。ホテルは町の中心にあり車で15分ほどだった。Alexと大将、僕と佐藤氏が相部屋にした。
部屋に入ってまず、電話機を見た。オッちゃんとモジュラーやし、データポートも着いている。メールが送れそうだ。
ロマやんの案内で食事に行く。最近までロシア領だったので当然ロシアごが通じるので楽だったが、町の看板などを見ると文字は全然違うし歩いているひとたちもどことなくおっとりしている。
はでな豊かさは感じられないが、「ピースフルな町だね」というとAlexが「ほんとうにそうだね、やっぱりここはロシアではないよ」と言った。メインストリートは20世紀初めを思わせる佇まいで、道幅は40メートルほどあって両側はしゃれた商店がならんでる。
土曜日の夜なのであまり開いてはなかったが。ここの名物はと聞いてもないというので僕はシシカバブを注文した。
10分ほど経ってボーイがすまなさそうに「できないので他のものに代えてもらえませんか」と流暢な英語で話すからペッパーステーキにした。聞くと、「10年前は英語を勉強する人は10%ぐらいだったけどいまではロシア語をやる人が10%ぐらいですよ」という。なるほどなるほど。
ホテルに帰ってAlexにビールを付き合う。佐藤氏がコハクを買いたいと言っていたのでフロントで聞いたら店を開けてくれるというので電話で呼んだ。蚊が入ったのが$50だった。地元の酒を飲んだが味はチェコのものと同じだがこちらは茶色だった。カウンターに砂が入った箱が置いてあるので尋ねるとトルココーヒー用だという。なるほど砂はけっこう熱い。試しに注文したら小さなイブリクにコーヒーと砂糖をいれて砂の上に置き、まわりにも砂を盛り上げた。しばらくすると沸騰しはじめたのでカップにいれてくれた。けっこういける。チェコでは同じトルココーヒーもあったが味は全くダメだった。姉ちゃんにトルコで飲んだのより美味しいよというとニッコリとしてくれた。

8/8  8/9  8/10  8/11  8/12  8/13  8/14  8/15  8/16  8/17  8/18  8/19  8/20  8/21  8/22  8/24  8/25