零戦の復元に向かって

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第二部 100万円のクイーンエアーで太平洋横断(1)

 柳田一昭。・・・「実際に、自分達の手で飛行可能な零戦を復元しよう。」と言う。普通の人では、思いもしないとてつもない壮大なプロジェクトの仕掛人・その人なのです。
アメリカは、カルフォルニア州ロスアンゼルス近郊の片田舎。ノーコと言う町に住んでいる。(その前はコロナ市に住んでいた)
俺達プロジェクトの大将・そう俺達の空の大将なのです。大将のプロフィールについては後で述べます。

  今回、この事を書こうとした筆者と大将との出合から始めましょう。
私は、ガキの頃から飛行機が好きで、ソリッドモデル(木を削って作った模型)・ゴム動力飛行機・Uコン飛行機(エンジンが付いて、翼の端に細いワイヤーが付いている、そのワイヤーでコントロールする。)・ラジコン(無線操縦)飛行機・ウルトラライト(超軽量動力付飛行機)・グライダー・モーターグライダー(エンジン付きのグライダー)と、エスカレートしていきました。
ここまで来ると、どうしても実機(本物。グライダーもモーターグライダーも、実機ではあるが)に乗りたくなりました。

  アメリカでは、ライセンスが簡単に取れると言う事は聞いていましたが。英語力がネックになって、私には無理だと思っていました。ところが、ウルトラライトのクラブの一人の仲間が、ライセンスを取ったのです。英語が特別出来るとは、どうしても思えない(本人には大変失礼と思いますが)人でしたので、もしかして私でも?と早速、英会話のスクールへ入学しました。
ところが、このスクールの選び方に、私のアバウトさがあったんです。このスクールの校長と言うのが私の友人でして、私以上にアバウトな奴でした。
このバカ校長が、私の能力を過大評価したのか?私を見限ったのか?一ケ月と少々で、アメリカへのゴーサインを出してしまったのです。普通の人だったら、ここでおかしいと気ずくはずですが、普通の人でないノー天気な私は、勝手に良い方に解釈してしまい、完全に舞い上がってしまったのです。
空って(馬鹿って)恐いですよね?

 英会話の、スクールに入学するのと同時に。アメリカへ行くことを、密かに自分で決めていたのです。それは、「日本人で、アメリカのカルフォルニアでフライトスクールをやっている人がいる。その人に自分も習って来た。」と言う人に、大将の事を聞いていたからだったのです。
その人こそ、超アバウトな小原ちゃんだったのです。
ここで、小原ちゃんの事を書くと長くなるし、今書こうとしてる事を忘れてしまうので、機会があれば後で紹介します。がー、本当にアバウトな人です。(決して悪人ではありません・がー・金銭にかけては、途轍もなくルーズな人なのです)

 そんな訳で、アメリカへ、飛行機のライセンスを取りに行く事になりました。
とんとん拍子に行ったのはそこ迄で、小原ちゃんを信じた私は、小原ちゃんに飛行機のチケットを手配して貰って、憧れのアメリカはロスアンゼルスへ旅立ったのでした。
何処までもノー天気な私は、小原ちゃんに「ロスの空港に着けば、誰かが迎えに来る事になってるし、あんたは目立つからすぐ判る。」と言う言葉をすっかり信じてしまい、大将の住所も、電話番号も教えて貰わずロスの空港に着いたのです。

 入国審査、税関検査を終えて到着ロビーへ出た。
憧れの、アメリカへの第一歩でした。
期待と、興奮と、不安との、ごちゃ混ぜの眼差しで辺りを見回した。しかし、私を迎えに来てる様な雰囲気の人は見あたりません。
入国審査での係り官との会話で、すっかり英会話の自信を失っていた私は、英会話スクールの:馬鹿:校長の、ゴーサインは私を見限った事と悟りました。

 迎えは見つからないし、大将の電話番号は知らないしで、頭が:ウニ:ってしまいました。
周辺りを見回すと、日本人らしい人がちらほらいるのです。英語が駄目でも日本語が通じると思い込み、それらしい人に日本語で語りかけました。
日本への電話の掛け方を聞いて、小原ちゃんへ電話しようと思ったのです。その人へ、声を掛けたら片言の日本語で、「自分は日本人では無い。」と言われてしまった。
別のそれらしい人に、もう一度声を掛けたら、今度は完全に日本語を話せない人でした。
ロスアンゼルスには、日本人らしいアメリカ人がうようよ居るのです。

 途方に暮れて仕舞そうになった。が、時差ボケの頭でも何かは思いつくもので、日本を出る時、旅行カバンの中にアメリカのガイドブックを入れた事を思い出したのです。
ガイドブックの中の、<困ったときのなんとか>の部分を見れば、どうにかなると考えて、ロビーの片隅へ行って旅行カバンを開け、ガイドブックを取りだした。
ガイドブックを片手に、ロビーの中のインフォメーションセンターへ行きました。人の良さそうな、中年のおばさんが二人座っていました。ガイドブック片手に、日本への電話の掛け方をどうにか聞く事が出来ました。

 おばさん達は、ボランティアでやってるとの事でした。
この事を理解出来た私は、自分で自分を誉めて見ました。(完全にノー天気な奴)
ほっとして、公衆電話のブースへ行き、手帳で小原ちゃんの電話番号を見つけ、受話器を取り上げてからはっとしました。
アメリカと日本の時差(−18時間)を、すっかり忘れていたのです。日本は真夜中・ジャーン!またまた頭が:ウニ:ってしまいました。
暫く考え込んでしまった。が、どうすることも出来ません。
:エーイままよ小原ちゃんが起きる迄電話しちまえ:。
呼出音が暫く続く・・・あきらめて切ろうとした時、受話器の向こうから小原ちゃんの声が聞こえてきた。年甲斐も無く大きな喜び!
小さな:ガキ:が迷子になって、ようやく母親に巡り会ったような気持ちだった。小原ちゃんが天使に思えた(汚い天使)。
大将の家に連絡がついた。「間違い無く、日本人の生徒が二人迎えに出ているから、待っているように。」との事だったのです。
小原ちゃんが、電話に出なかったら日本へUターンしようと思っていました。

 ここ迄、到着ロビーへ着いてから一時間以上は過ぎていました。
それから待つこと1時間20分。ようやく二人が現れた。よほど、:ドヤ:そうかと思ったが、疲れ果てたのと、時差ボケで、怒る気にもなれなかった。
「車が、オーバーヒートしてしまい、途中で水を入れるのに手間取った。」と言う。
「こいつら、適当な嘘をつきやがって。」「一発、ボッキリあづけようか?」と思った。が、本当に:ボッキリ:やらないで良かったのでした。

 荷物を持って貰い、駐車している車の前へ行って:ビックリ:。目が:テン:になってしまっのです。
日本では、スクラップ屋へ行っても見つけることは、到底出来ない様な代物が、目の前に横たわっているではありませんか。二人に聞いてみました。「これは、一応車か?」と。
驚きました。答は「イエス。」(随分英語が出来る様に成りましたね。)なのです。
ここ迄書けば、私が彼達を:ボッキリや:らないで良かったと言う事が解るでしょう。それ程ひどい車だったのです。が、アメリカでは、堂々とロスアンゼルスの街路を走っているのです。
日本人とアメリカ人の感覚が、完全に違う事を思い知らされました。向こうでは車検が無いし、<車は走れば良い。>と言う事なのです。
そんな訳で、彼らに労いの言葉をかけて、超スペシャルカーで大将の家へ行きました。


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