零戦の復元に向かって

はじめに 第一部 第二部(1) 第二部(2) 第二部(3) 第二部(4) 第二部(5) 第二部(6) 第三部 第四部 あとがき

第二部 100万円のクイーンエアーで太平洋横断(4)

 11月17日、大将と二人で女王様の最終チェックを行う。
燃料の積み込み、オイルの補給、サバイバルキット、GPS、HF(短波)ラジオ、そしてそして、大事な大事なビール、その他、諸々。
たつた1日でやってしまった。
これ迄は、自分が行く積もりは無かったので、他人事と見ながらも、「太平洋を横断するって事は大変なんだなー。」としか思っていなかった。
それが、急に自分に振られると、今更ながら、良く行く気になったものだと、つくづく思う。
相手が、大将で無かったら絶対に行かなかっただろう。

 11月18日、いよいよ出発の日である。
これが又、出国するための手続きが大変・・・うんざりの連続なのだ。
仙台空港は、インターナショナルなので、全ての手続きが、此処で出来る事になってはいるのだがー。
例えば、女王様と言っても高々:ポンコツ:なのだ。(失礼、女王様には大変失礼に存じます)しかし、正式には輸出品になるんだって。
「輸出の手続きをして下さい。」だって。これから出国しなきゃならないぎりぎにりなってからだよー。
個人でやってる時間がない・代行している会社を紹介された。
料金6万5千円也。(公認の通関士がやらなきゃ、だめなんだって。これから一杯お金が掛かるってのにー!又々、大将が怒りまくる)。
その他、思い出したくもなくなるような、諸々の事が一杯でした。
大将も俺も短気の:塊×2=4短気:解る?忍耐の連続なのでした。
太平洋横断の初日がこうだもんねー!「これから先どーなんだろー!」。

 AM・11:00、仙台空港を離陸して一路サイパンへー;。
 上昇率が悪い。
それもそうです。女王様の性能ぎりぎりに近いペイロード(積載重量)の燃料を積んでいるのです。
それでもフルタンクではないんです。                   大将は計算ずくで、仙台〜サイパン間の飛行時間約11時間(1時間の予備)・その分の燃料しか入れてないんです。
少しづつ上昇しながら、女王様の御機嫌伺いなんです。
これは全て大将にお任せ。大将、:神経ビリビリ:コパイ(副操縦士)席にも充分伝わって来ます。
約1時間経過。(試験飛行でもこんなには飛ばなかった、長くても約30分・ 「燃料がもったいない。」んだって・よく言うよね。)
ようやく、大将の表情にも一段落と受けとめられるものが見えた。
そのまま一路サイパンへ。

 高度11500ft、エアースピード185kt。左手に父島・母島が見えて来た。
私の良くない頭で計算しても、そろそろ此処が、仙台ーサイパンの中間点・Uターンするのはここ迄が限界なのだ。
ここを過ぎれば:GO:しかないのだ。「あーあ!もう元には戻れない。」
この時の心境は、とても言葉では表現出来るものではありません。スリルとか恐怖とか(同じ事か)・・・そんなものよりももっと壮絶だったのです。
飛び立つ前は、1時間交代の操縦と言う事だったが、大将が3時間、俺が1時間と言うシフトが、暗黙の内に出来上がっていた。
短時間の11500ftは良いが、長時間は大変・・・空気は薄いし寒い。
とにかく、疲れし喋るのもおっくうになる。
操縦の交代にしても、目線と指先で解ってしまう。言葉は出さない。

 この飛行機のエンジンには、スーパーチャーヂャーが付いているので、まだまだ上空高く飛べるのだが、俺達パイロットが酸素不足で参ってしまう。11500ftがベストの高度なのです。
大将が「コンピュータ(飛行機用の計算尺)を貸してくれ。」と言う。
「そんな物、積んでないよ。」   
「ロングフライトする時には、フライトコンピュータを持って来るのが常識だろー。」
「トレーニングで、何を習ったんだ。」
そこまで言って、大将言葉に詰まった。ジャーン!
<誰が教えたんだ?>これ以上言うと、やぶ蛇になってしまうぜ。
俺もその時は、すんなりと「すみません」と言う訳には行かない理由が有ったのです。
「何言ってんだよ、女王様が重いって言うから、荷物は必要最小限の物だけにしろ。ビールも降ろせ。って言ったのは誰だっけ?」
「フライトコンピータも大切でしょうが、ビールはもっともっと大切な物なんですよ。私にとってはー。」
「ビールを降ろして、ついでにパンツの枚数も三枚に減らして、コンピュータと一緒に降ろしました。」
大将、俺の顔をつくづく眺めて、「あっちゃー!」

 暫くの間女王様は、順調に飛んでくれていました。            
サンパン迄あと15分位と言う頃。
突然、レフトエンジンのオイルプレッシャーゲージの目盛りが下がった。
大将も俺も同時に気が付いた。が、しかし、大将も俺も気づかない振り。
眼の片隅に捕らえながら、お互いに相手に動揺を見せない積もりだったのだろう。その内ライトエンジンのオイルプレッシャーゲージの目盛りも下がった。
と!その時、サイパンの灯が目の前に見えて来た。
「あー!これで助かった。」ところが大将は、最初のプレッシャーゲージが下がった時には、サイパンの灯が見えていたんだって。
大将の眼は途轍もなく良いのだ。後はエンジンを絞って高度を下げていくばかりだ。エンジンは持ってくれるだろう。

 無線で、サイパンのタワーをコールする。
5〜6回コールした頃、タワーが日本語で答えてきた。
ん?それも聞き覚えのある声で!「グァムのマックス小島の声だー!」
それにしても、どうしてマックスがここに?
マックスの誘導で無事ランディング・そのままエプロン(駐機場)へ。
サイパン空港は、その時間はクローズなのだそうだ。
グァムから、マックスが俺達を迎えに来ていて、時間が遅くなってタワーがクローズ(クローズになっても、コールすればタワーは出てくれる、この辺は日本とは大違い)したので、マックスがタワーに頼んで、無線に出たんだそうだ。
向こうは、型にはまらないおおらかさが有るんです。
マックスには、大将が事前に連絡していたそうだ。
大将は、アメリカのグリーンカードを持っているから帰国。
だが、私は、:ちゃきちゃき?:の日本人なので入国・それなりの審査をされてOKでした。

 マックスの奥さん(日本人です)を交えて、ホテルへ。
その晩は、久ぶりの4人で飲み明かしました。(以前、マックス御夫妻はロスに住んでいた。私が大将の所で飛行機のトレーニングを受けていた頃、時々泊まりがけで御馳走になりに行った程の間柄です。)
ちなみに、この日の女王様のフライトタイムは9時間30分でした。

 翌日、マックス御夫妻はグァムへ帰って行きました。
大将は、次の寄港地のポナペへ、寄港の為のパーミッションを取る為の電話を掛けたのです。
ところが、次と、その次の、ポナペとマジェロはアメリカの友好統治国であってアメリカの国では無いんだそうです。
両方とも正式な手続きをしなければ、入国出来ないとの事になった。
随分長い電話だと思ったらそんな事だったのです。
しかも、この電話が簡単に継がった訳では無かったのだ。
今の日本では到底考えられないが、20年位前の辺鄙な田舎で電話を掛けているみたいで、相手に継る迄に、1時間以上もかかるのだ。:信じらんなーい:マジで信じらんないのだ。

 大将、ホテルのフロントで事務用のペーパーを貰って、手書き(英語)で書類を書き、ホテルのFAXでポナペのオフィスへ送り、返事待ちになった。
ところが・・・又々:アヘー:相手は、金曜日の午後3時からはクローズと来たもんだ。
日本人の感覚では:考えらんなーい:程の驚きなのです。電話とFAXに時間がかかり、午後3時を過ぎていました。
そんな訳で、サイパンで3日間のロス。時間とお金もどんどんロスって行く。 サイパンに、もう一日居ても仕方が無いので、「ロタ島へ行こう。」と言う事になった。

 11月21日、ロタ島へ。フライトタイム40分。      
ロタ空港の入り口に、旧日本軍機のエンジンが、プロペラー付きで5機程展示してあった。それを写真に納めてから、レンタカーでホテルへいった。(この島にはタクシーが無いんだって)
チェックインのサインをしてたら、日本語が上手なので、顔を上げたら、その人はこのホテルのオーナーで日本人だと言う。
下手な英語使うんじゃなかったよ。日本人離れしたチョモロ人みたいな日本人!。
世の中広いんだよ。

 11月22日、ロタ島を離陸し、一路ポナペ島へ。
フライトタイム4時間30分。
ポナペインターナショナルエアーポート。エプロン(駐機場)が自棄に狭い。一応、国際空港なのです。それでも入国審査、税関検査は有るのです。
流石に此処まで来ると、日本人は辺りに見当りません。それでも、たまにはコミュターを乗り継いで来る事があるそうです。一週間に一便しか無いと言うんだよ。
後々、俺達がこのコミュター(エアーマーシャルと言う)にとことん世話(これは嫌みで言ってる)になろうとは、夢にも思いませんでした。
この事は零戦のエンジンを手に入れた事になった経緯の時に書きます。
まる一日のロスでした。
時間がもったいないので、「エンジンの整備をしよう。」とオイルを抜いて、燃料屋へ行って、燃料とオイルのチャージを頼んでビックリ。
:眼がテン:なんて言ってる場合じゃアーリマセンよ。
第一の驚ーーき、「オイルは小口では売りません、200Lドラム缶単位です、アブガス(航空用ガソリン)もドラム缶単位です。」
第二の驚ーーき、「クレジットカードは使えません。ドルで払って下さい。」
頭がガーン・耳がキーン!二人共当然、カードが使えるものと信じて疑わなかったのです。
万事窮す!二人のロマンチック?な旅も此処まで。マイッタネー!
女王様を身売りして、その金で:トボトボ:と二人で帰るか?
しかし、こんな辺鄙な国で、「こんな気品の高い女王様を、身請け出来る程の豪快なお金持ちが、居るはずはなーい。」
そんな時でも、俺の頭の中には閃くものがあつたねー。
日本を飛び立つ迄の短い時間の中にも、ある人に頼まれていたアメリカの土産品の為に、円で現金を用意していたのでした。
この事に思い付いた時、俺は一人でニッコリほくそ笑えんでいた。
片や大将はガックリ。決して大将を弄ん居た訳では無いが。
「大将、くよくよしてもしようがないよ・酒でも飲もう。」

 大将、俺の方を向き、目玉ひんむいて。「銭がねーって言うのに酒なんか飲でられるか?」って言って。テーブルの上の、俺の水割りを一気にガブー!だって。
「オイオイ・俺の酒飲むなって。」 あんまり落ち込んでいるので、かわいそうになった。            「金は有るよ、ホノルル迄は行けるかもねー。」って言ったら大将。    
「冗談を言ってる場合じゃ、ねーだろー。悪いジョークは止せ。」
「こんなに、困っている時に冗談を言えるほど、余裕はないよー。」
「隠し金を持って来たのを、思い出したんだよーだ!」
「そんな大事な事早く言えよ。」怒る・怒る。
持って居たのは日本円、相手は「ドルで払え。」と言う。
島で一軒しか無い銀行に行った。大将、「レートが悪い。」と言う。
「今更、少し位のレートなんてどうでもいいじゃん・早くマジェロへ行こうよー!」・・・「ところで、この金どうしたの?」だって。 いわく因縁のある金だったので、「言いたか無いよー。」

 オイルを、ドラム缶で買ってもどうしようも無いので、ポナペで使用事業をやって居るアメリカ人が居た。彼からオイルを譲ってもらって、それで間に合わせた。そのアメリカ人と言うのが、大将の知り合いで近所に住んでいる人の兄だったのであった。ラッキーの連続だった。
マジェロ迄、間に合うだけの燃料を入れて、貴重な、貴重な金を払ったのでした。

 11月24日、ポナペを離陸し、一路マジェロへ向かう。 フライトタイム5時間30分。
マジェロに着陸してびっくり、滑走路とエプロン、それに島を縦断している道路の幅しか無い島なんです。
と思ったら、ダウンタウンは空港の遥か遠くに有ったのです。この島は、サンゴで出来た環礁だったのです。
だから、空港はサンゴ環礁のリング状の一番細い場所に有ったのです。ランウエイ(滑走路)の右は外海、左は内海、潮の色が極端に違うんです。
青い色・・・:青い色がこんなにも多く有ったのか?:と思う程の色合いと言う表現で?いいのかなー・とにかく表現に困ってしまう位に綺麗なのです。それに生臭い海の臭いがしないんです。
上空から見た色と、地上から見た色が又、全然違うんです。ここも、ポナペと同じで独立国なんです。
一応、それなりの手続きが必要だったのです。
入国審査のおっさん(およそ役人には見えない、服装と腰に吊るした、どデカイピストルがそれらしく見える)に聞いたホテルへ、乗合タクシーで向かった。
久しぶりに早い時間の到着だった。
早めにシャワーを浴びて、ビールを飲んでくつろいだ。それに、コテージ風の部屋も良かった。
すぐ目の前がビーチだった。ロッキングチェアーに座って波の音を聞きながら、いつの間にか眠ってしまっていた。

 大将に起こされたら外は薄闇だった。
二人でホテルのレストランへ行ったが、食べたい様なメニューが無い。もっとも、名前を見ても、全然想像も付かないものばりなのだ。
適当なものを頼んで、適当なものが出て来て、殆ど食べない(食べれる様なものが無い)で、そのまま部屋に帰って寝てしまった。
大将は、フロントで電話をしているようだった。
大将が部屋へ帰って来て俺を揺り起こして言う。「女が居るってよ。」:そりゃ女ぐらい居るでしょ:
ん?大将、本気か?だって今迄に、そんな事言った事無いんだよ。
何時も、「俺はバハア一筋(奥様の事)だ。」って言っていたんだからー。
でも、どんな女か見るのは只だもんねー。観に行こ!観に行こ!どうせこんな島に、いい女が居る訳ないのにー。
殆ど、お:バカ:さんな二人は、いそいそと出て行くのでした。

 案の定、肌は真っ黒・プロポーションはドラム缶・手足は八つ手の葉・特に足は、ベトコンが履いていた、タイヤーで作った草履みたい、裸足の足がよー。これって女かー?
大将、言う事がいいよ「こんな所で、変な女買ったらツキが落ちる。」だって。自分から言い出して、これだもんねー。
枕抱いて寝よーっと。            ・・・・一人寝の子守歌 ・・・・                            一人出寝る時はよー                            膝小僧が寒かろうー                            女子を抱くよにー                            暖めておやりよー                            ・・・・御休みー・・・・

 昨夜の、夢見?が良かったのでぐっすり寝り、朝早く目覚めてしまった。
カーテンを、そっと引くと外は朝焼け空、なんて綺麗なんだろう。
そっとドアーを開けて外へ出る。
朝焼け空と・波の音と・美味しい空気・・・なんとハッピー
うーん、これは何か詩が出来そー・・・それにしても照れるなーーー

   風に託して貴女へ

 (1)遠い南の海の紺碧さに        (2)今日も空行く珊瑚礁 
    一人渚に佇み想う              風邪が阻むよ俺の行く先を       
    あの夜酒場で酒汲みながら         遠く遥かに虹の架け橋
    語り飽かした貴方が恋しい         渡れば行けるか貴方の許へ

 (3)風よ運べよ故郷の香り                        遠い貴方にせめての便り
    遥か貴方は遠すぎる                           託してみたいよ渡りの鳥へ
    想い叶えと躊躇いながら
    俺は向かうよ南へ南へ

 明日は、ホノルル〜オークランド間の次に、ロングフライト。
ホノルル迄は13〜4時間です。エンジンオイルの交換と、燃料をフルタンクにチャージしなければと、空港へ向かいました。
古いオイルを抜いて、新しいオイルを入れる。それもオイルのチャージタンクのぎりぎりマンタン迄入れるのです。
これは、他人に任せられないので、大将と二人でやりました。
燃料の方は、ここもポナペと同じでドラム缶単位なのです。それも、ドラム缶から手回しのポンプで入れる。
燃料屋のおっさん二人が、チンタラ・チンタラ入れているのです。それも、頭がクラクラする程の炎天下で、のーんびりと。
オイルを入れ終わった私は、彼らの側へ行き。「早くしろよ。」と言った。(勿論英語です。) 
「何でそんなに急ぐのだ。」と言う。それも分かり難い現地訛の英語で。
「こんなクソ暑い所で、チンタラやってらんないんだ。」「チキチキバンバン早くしろ。」って、自分でポンプのハンドルを回した。おっさん二人、腹を抱えて笑う?
手を止めて、「ん?なんだ?」と言うと。彼ら二人は、「チキチキ・チキチキ」と笑いながら、腰を:前後:に振る。
ん?こいつ等、気がおかしいのか?」
身振り手振りと?腰振り?と、怪しげな英語で、彼らの言ってる事が、納得出来ました。
《チキチキ》とは、万国共通の《アレ》の事だったのです。
感の鋭い貴方はすぐ解ったでしょう。そうです。ミュージカル映画・チキチキバンバンのメインテーマ音楽は:H:な:H:な唄だったのです。
私は、意識してこの:チキチキバンバン:を歌った訳では無かったのです。
偶然とは、恐ろしいものです。
すっかり、彼達と仲良くなってしまった私は、嬉しくなって。
「お前達にチップを上げる。」と言った。すると、一人が車(これが、以前私が初めてロスへ行った時、丁重に御出迎えていただいた。あのスーパーカーの10倍もスーパーなのです。潮風の為だと思いますが、殆どシャーシーの上にエンジンだけ)で何処かへ出かけて行きました。
5分程過ぎたら、スーパーカーの荷台(と言ってもシャーシー)?の上に3人乗せて戻って来ました。
チップの効き目は凄かった(5ドル)。ガスチャージは、覚えたばかりの危なげな、:チキチキバンバン:を歌い?踊り?ながら間もなく終わってしまったのです。

 11月26日、マジェロを離陸し、一路ホノルルへ。
フライトタイム14時間。
フルタンクでの離陸は、女王様にとっても、俺達にとってもシンドイものでした。
総重量は、マニュアル値よりもオーバーしているのです。
終わってしまったから言える事としても、本当に上昇率が悪いのです。仙台を出発した時の比ではありません。あの時はフルタンクでは無かったのですから。
大将は、仙台での女王様の整備の時、フェリー(空輸)の為の、改造申請をF・A・A(アメリカ連邦航空局)へ提出したそうですが、重量の部分は嘘を書いたそうです。
勿論大将の事ですから、どの位迄のオーバー迄は大丈夫なのかは、計算に入れての事だったのでしょう。
ランウエイ(滑走路)のぎりぎり迄、エレベーター(昇降舵)を引かず、エアースピード(飛行機の速度)を付けての、エアボーン(離陸)だったのです。
もしも、タイヤがバーストしたり、離陸中止のブレーキを掛ければ、客席に積み込んである、マンタンの燃料タンクに押しつぶされて、二人共お陀仏なのです。
:爆弾を背中に背負っている:とは正に、この事だつたのですよ。
女王様のご機嫌を伺いながら、かなりの時間を掛けて11500ft迄上昇して、巡航飛行になりました。
大将が3時間、俺が1時間操縦のシフトで暫く飛んでいたら、遠くに島が見えてきました。

  「大将がジョンストン島だ。」と言う。地図で確認してもその通りで、ホノルル迄のおよそ中間点だ。
島の真上に来た。下を見ると、島の真ん中殆ど一杯に、メイン、ランウエイが有り、その回りに建物が点在している。
その他の空き地には、コンテナーが一杯野積みしてある。
「コンテナーの中身は、枯れ葉剤のダイオキシンが入っている。」と大将が教えてくれた。
「ベトナム戦争で使用していた残りものと、アメリカ本国で備蓄していた物を、全て此処に集めた物だ。」と言う。
危険物の集積所に、していたのです。
大将が、「今回のフェリーの為に、ここで給油の特別許可(ミリタリーの基地なので、スペシャルパーミッションが必要)を申請したが、却下されたのはこれのせいだ。」と言う。
ポナペのアメリカ人もそう言っていたそうだ。

  相変わらず、二人は疲れるので無言である。
あまりにも、前回迄のフライトが寒かったので、マジェロのホテルから、バスタオルを二枚黙って借用して来た。一枚を大将に放り投げたら、:キョトン:とした顔をして黙って腰に巻いてしまった。
暇で、する事が無いので!「:有り難う、これどうしたの?って聞いて見てよ。:」って、紙に書いて渡した。
暫くして返事が来た。「:こんな、人様に迷惑掛ける様な事するな:」とでも書いてあるかと思ったら、「:ヨクヤッタ:」だってー。5文字しか書かないんだよ。この横着者めー。
中学生の頃。隣の席の悪餓鬼と、こんな事をしてた御坊ちゃま(とおるちゃん【筆者の名前】)の、幼い日の思い出に耽って見ました。

  外は、早々と薄暗くなっていきます。そうなのです、女王様は日ノ出の方に向かっているのです。逆だ、夜に向かっている。
ん?これもおかしい?ま・いっかー
時間の感覚が狂ってしまうのです。だから、俺の時計は日本を出たままの時刻にしてある。

  大将が「後ろに行ってくれ。」と言います。
何か?と思ったら、「タンクを切り替える。」という。そうか、もうそろそろフェリータンクが空になる頃だった。
「切り替えコックは、自分のすぐ後ろに有るじゃない。(コックピットから手が届く所に有る。)何で俺がわざわざ後ろに行かなきゃなんないだよ。」って言ったら。
それでも、「いいから、行ってくれ。そして、タンクを固定しているベルトを外しておいてくれ。」という。
ショルダーハーネスとシートベルトを外して、狭い通路(燃料を出来る限り多く入れたい為に、フェリータンクを、パイロットの自由が犠牲になる事も覚悟で、限界ぎりぎり迄大きくした結果)を横歩き(幅が狭いので縦に歩けない。)をして、タンクの後ろに着いた。
たった、これだけの事でも、ものすごーい疲労なのです。
高い山を登った事がある人だったら、きっと解るでしょう?
通路を移動しながら、大将が考えていた事が、解りました。
フェリータンクは長立方体なのです。飛行機が水平に飛んでいても、タンクは水平ではないのでした。
「ははあ!大将、タンク内の燃料をぎりぎり迄使い切る積もりだ。」
俺に「タンクの尻を上げろ。」とは、こう言う事だったのか。
腰を、床に下ろして待ちました。大将から声が掛かりました。
「タンクの尻を上げてくれ、そしてそのまま居てくれ。間もなく、飛行機が揺れるぞ!そしたらコックを切り替える。」
タンクの尻を上げた。待つ事5分。
レフトエンジンがブフフブン・・ブフフブン・・・(女王様のため息)と、息吐きを始めました。
同時に、機体が大きく左に、次に右にヨーイングします。
翼の真ん中だったら、揺れが少ないのです。が、何しろ私が座っている場所は、フェリータンクの一番後なのです。(飛行機の後ろの方)
モーメントからして・ん?難しい事は止めにしてこーっと。
突然の横揺れで、右にヨロヨロ・左にヨロヨロ・じゃなかったゴロゴロなのです。
他人が見たら、多分腹を抱えて大笑いだったでしょう。
左の壁に頭をゴツン・右の壁に肘をガツン・痛てー!痛てー!
大将、マジで燃料を使い切ったのです。
フェリータンクの燃料配管を改造した時、パイプの材料に、透明なメッシュ入りのビニールパイプを使ったのです。
(日本ではこんな事、絶対許可になりませんよ。)
フェリータンクから、そのパイプに空気が入る時がタンクが完全に空になる時。そのタイミングがコックの切り替え時・・・「普通は、そこ迄でやらないよー。エンジンが止まって、再スタートしなかったらどーすんだよー 。」

 横揺れが止まって、エンジンが快調に回りだした。「あー!えがったー!」             
頭と肘をさすりながら立ち上がった。
コックピットへ戻って行こうとしたら、又、大将から声が飛んできた。
「その侭そこに居てくれ。まだ右が有る。」
そうです。女王様は双発の飛行機だったのでした。
左と同じ事が、もう一度有って。狭い通路をよろよろとコックピットへ戻りました。
書いてしまうと、こんなもんですが、実際に身体を動かして居る私には、空気が薄いので、相当な重労働だったのです。

 そんな、馬鹿な事(失礼、真面目に・・真面目に重要な仕事を無事を終えて。)が終わって暫く飛んでたら、大将が指を指し、「ホノルルが見える。」と言う。
大将の目には、もう見えているのだ。俺には全然見えない、なんと良い目をしてんだろう。
無事ホノルルへ着陸。現地時間11月25日9:00PM。
グリニッジ標準時11月26日07:00PM

 11月26日にマジェロを飛び立って、11月25日ホノルル着陸?
 なんかへんだなー?って話しは、次回ホノルルからロスアンゼルスへの心だー なんだ?これじゃー、あの超助平な、小沢昭一のおっさんになっちゃうよー
それにしても、この書き殴り(お願いだから、小説って言ってよー)って癖になりそー!
そんな訳で、無事ホノルルへ到着しました。  
ホノルルでは、特別な問題も無く、すんなりと入国と帰国(大将は)する事が出来ました。と?思ったらー。
有りました。有りました。キツーイ一発が!

  着陸してエプロンに着いたら、タワーから、無線で指示が来ました。
「その場所で、入国審査と税関検査をする。係り官が行く迄、その場所を動かずに居るように。」との事でした。
疲れているのに、待つ事1時間余り。もーやんなっちゃうー。
車に乗って二人の御婦人が来た。大将に何やら言っています。まるっきり日本人?(日系三世)のオバハン二人が流暢な英語で。しかも、腰には:45マグナム:を吊るして居るのです。
これは、間違い無く入国審査官です。
余りにも流暢で早口の英語なのです。すっかりポナペとマジェロで現地訛の英語に慣れてしまった私には、言ってる事が:ワッカリマシェーン:でした。
(ほとんど、英語が出来ないのに良く言うよ!)
大将、俺に向かって「裸になれ。」と言う。
「何で俺が、こんな所で裸になんなきゃなんないのよ?」
「このオバハン方が言ってんだよ。」
「ん?このオバハン達?欲求不満か?」
「そうか、この俺様の柔肌に眼を着けるとは、お目が高ーい!」。
大将、俺の顔をまじまじとめつめて言う。「バーカ!タッツー(入れ墨)を見せろって言ってんだよ。」だって。
ガーン!オバハン方、俺様をヤクザと思ったらしい。 
「御ふざけじゃ有ーりませんよ!何処にこんな御上品なヤクザが居るんだってんだよ。」って、啖呵を切りたかったけど、「英語じゃ:デキマシェーン:」
啖呵を切らずに、諸肌?柔肌?ん?脱いじゃいました。
又々、大将に何か言ってます。「ドラッグ、ドラッグ(麻薬)!」
オバハン達、俺が英語は殆ど駄目と見限ってしまったのか、あれ程俺様の、「柔肌を見せてよ。」って言ったのに、全然俺の方を見てもくれない。
「ん?今度は大将の番か?」
「ハハーン、大将を麻薬の運び屋と見たな!」
「そう言えば、身体付きと言い、顔つきと言い、それらしいなー。」
「オバハン達、さすがプロフェッショナル。良い所に目を付けるよなー。」って感心しちゃった。(俺みたいに、見た目で人を判断しちゃ駄目よ!)
大将、自分の事となると、怒る。怒る。
本当に、本当に:キツーイ:一発でした。ご苦労さん。
「これで、俺の役目は終わったー。」本当にほっとしました。
大将との約束は、ホノルル迄だったのです。
空港の、プライベートパイロット用の出入り口で、大将の卒業生で日系三世の山城と言う、映画俳優にしても良いようないい男が迎えに来ていました。

 ミスター山城の側に、相撲の曙が居るではないか。ん?リトル曙!      
「貴方は、曙の弟か?」と聞いてしまった。
こいつめ、何を言われているのか?と、ポカーンとしている。
曙を小さくしただけの様な、ミスター山城の友人だったのです。
自己紹介をして、彼の運転の車でダウンタウンの日本レストランへ直行。
久しぶりの日本食と、日本のビールのせいで、あっと言う間に酔ってしまった。
その晩は、ミスター山城の家で久し振りにぐっすりと眠らせていただきました。

 翌日、朝食と昼食一緒の食事をして、空港へ送っていただきました。
飛行機の中の荷物の整理と、その他、諸々の事を済ませてホテルへ早めにチェックインしました。
その晩は、今までのように、明日のフライトの事を考えずに済むので、ゆっくりと酒を楽しむ事が出来ました。(カードが使用出来るので、お金も安心して。)
俺が、適当に酔った頃を見て、大将が又々、言うのです。
「此処まで二人で飛んで来たのに。後、一っ飛びなんだよなー。」
「この侭では、あんた、悔いが残んないか?」
「女王様だって寂しがるよ。」だって。
仙台を出発する前は、ホノルル迄って約束だったし、「ホノルルからは、ロス迄行きたい奴はいくらでも居る。」って言ってたのに。
俺の心を優しく撫でる様な、俺の弱い所を知ってる台詞を、こんなタイミングで!「俺の心を酔わせるような台詞は、大将じゃなく好い女に言って欲しいよ。」 遂々俺は、大将の台詞に絆されてしまうのです。
:誘惑に弱い、とおるちゃん:なのです。
そんな訳で、一週間後に、此処ホノルルでの再会を約束して。大将は、ロスへ!
そして私は成田へ!・・・ホノルル空港を後にしたのでした。
「仕事は山積してるだろうなあー。一週間でこなせるかなー?」
ガラスの様な心臓の:とおるちゃん:は心配なのでした。

 一週間後、約束通り、大将と私は、ホノルル空港で再会したのです。
再会して、二人が真っ先にした大事な仕事は・・・何はともあれ乾杯でした。
二人の堅い絆は、酒を無くしては有り得ないのでありました。
こうして、有り難い御神酒を神様ーじゃ無かった、胃袋に、お祭した二人は、翌日から女王様の整備と出発の準備に専念(2日でも千年とはこれ如何に?)しました。
これからの、ホノルル〜オークランド間のフライトは最大の距離、と最大の難関なのです。
今迄も、決して楽なフライトだった訳ではありませんでしたが。
今迄は、ご機嫌良く飛んでくれた女王様でも、何時、突然ご機嫌を損ねる事があるかも解らないのです。
今回も、前回と同じでオイル、燃料共フルタンクです。
慎重な・慎重なプリフライトチェック(飛行前点検)を済ませて、タワーから 指示を受けたランウェイへ(ランウェイが3〜4本ある。)タキシング。
「2038W(女王様のアメリカの登録番号)、アプルーブド・フォー・テイクオフ。」
「ラージャー・2038Wテイクオフ!」
フートブレーキング・・・スロットルフルオープン・・・左右エンジンが吠える。
ブレーキオフ・・・バックプレッシャー。
機速がどんどん上がる。わけだが?・・トッ・トッ・トッと・ん?上がらない。
女王様、重い・重い・・・。
テイクオフスピード(離陸速度)がノーマルのスピードでは、浮いてくれないのです。
女王様は、普段はそれなりにスリムなのですが、なにしろロングフライトに備えて、あまりにも多く食事を食り過ぎて(燃料が多過ぎて)オーバーウェイトになってしまったのです。
ランウェイをぎりぎり迄加速して、おもむろにジワーっとエレベータ・アップ。
浮いた・浮いた。女王様が、ジワーっと浮いてくれました。フゥー!
風は向かい風。エアースピードがだんだん上がって来る。でも、景色の移り変りが遅い。
ダイアモンドヘツドを左に見て、巡航高度、11500ftへ。
ディストネイション・・・オークランド。 
これからは、見る物が何もない。空と雲と海、だから話題になる事が何も:アリマシェーン:でした。
只ひたすら、3時間・・・1時間のシフトの繰り返しでした。
時間に逆らって飛んでいるので、外はあっと言う間に暗闇です。旅客機に乗っている時は、シートに座って居るたけで、時間の移り変わりを獏然と見ていました。が、幾ら足の遅い女王様でも夜が来るのが早いのです。

 暗闇の中を暫く飛んでいる。と、大将が「見えた。」という。相変わらず、大将の目は良い。 
その時、操縦は俺の番だった。大将、何かを暗算してるようだった。
「右へ3°(ヘディング)振れ。」と言う。
俺のヘディングが狂ったのか?と、GPS(女王様には、長距離飛行が出来る様な計器が殆ど付いて無かったので、ソニーのGPSと、日本無線社の船舶用の簡易GPSを2セット、用心の為に取り付けて行った。)のデスプレイを見る。 「ん?この侭ではロスに行っちゃう。」
「ハハー!燃料を計算して、ロスアンゼルス迄間に合うと見たなー。」納得・納得。
オークランドへの予定を変更したのでした。
懐かしい、ロスの夜景が遥か向こうに見みえて来ました。
「もう少し右へ振れ。」と言う。
「あれ?チノ空港(大将のホームエアポート)の方向?だぜ。」
「そうか、燃料が間に合うのでダイレクトにチノへ向かうのだ。」
ロス市街の上空に来た。大将、「此処で、旋回しろ。」という。ロスの街のナイトフライト!
普通だったら、「なーんてロマンチック!」・・でしょうが。
15時間も飛んで来て、二人共、くたくたなのです。
「そんな余裕あんのかよー」
とても、ロマンチックな雰囲気に浸れる状態では有りません。

  突然、下で爆発音と光。
ん?次々、と光る。「花火だー。」
ディズニーランドの上空だったのです。何と言う演出!大感激!
花火は、地上では平面な丸にしか見えません。が、上空から見ると球形に見えるのです。
地上で見るよりも、何倍も、いや、何十倍も綺麗ですよ。
こんな幻想適な光景を目の前にして、言葉に言い尽くせない事って、本当に解ります。
燃料が残り少ないので、空のファンタジーを楽しんでいる余裕が有りません。
1旋回でチノ空港へ。

  チノ到着 ローカルタイム PM 10:00               
女王様を、仙台空港からロスアンゼルスのチノ空港迄エスコートした・・・大将と俺との、永ーい、そして、ロマンチックな?波乱に満ちた:珍道中:が終わったのでした。
本当に・本当にご苦労さんでした。


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