零戦の復元に向かって

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第二部 100万円のクイーンエアーで太平洋横断(5)

  ここ迄、色々書いて来ましたが、この事を書こうと思いついたのは、だいぶ前の事でした。
実際に、ぼちぼち書き始まったのが、一か月程前でしたので、書こうとしていて忘れてた事が2〜3有りました。
その事を、思いしながら書いてみました。
相変わらず、話しの中身は、私が:ドジ:った事件なのですがー。

  その1、HF(短波)ラジオの話。
あれは、確かロタ島を発って、ポナペへ向かっている時だったのです。
私は、旅客機以外で日本国内以外を飛ぶのは初めてです。そのためには、どんな手続きをして、フライトするにはどんなルールが有るのかは全然わかりませんでした。
今回の女王様のフェリーに巻き込まれる事も、自分がコパイになる事も全く予想もしなかったのですから。
だから、今回はコパイに徹して、大将のオートパイロット(自動操縦装置)代わりと思っていました。
私達のルートは旅客機と同じ、国際航空路線を飛ぶのでした。高度が遥かに低いのですが。
日本国内のフライトと同じく、フライトプランを提出しなければならなかったようです。

  国際路線では、チャート(航空地図)に載っている、レポーテングポイントでレポートする事が義務つけられているようでした。
ロタ島を飛び立って、第一のレポートポイントでHFラジオ(遠距離すぎるのでVHFラジオでは届かない。)に電源を入れて、周波数をチューニングして、相手局をコールしました。4〜5回繰り返しても相手が出ません。
そのまま第二のレポートポイントに来ました。周波数のチューニングを確認してコールします。暫くコールしますが全然反応がありません。その時、明瞭な音声が入りました。それも日本語で、ん?又マックスか?そんな事はある訳が有りません。

  「こちらは、JAL○○便の◇◇です。貴方のラジオは凄くウィークです。 日本の方の様でしたので呼び掛けました。貴方のラジオでは届かないと思 います。よろしかったら、こちらで中継しましょうか?」
「宜しくお願いします。」
「メッセージの内容を、お知らせください。」
「N2038W・ポジションN○○°○○′○○″・E◇◇◇°◇◇′◇◇″・11500ft。」
「コピーしました。リードバックします。□□□□□□□□□□□□□でよろしいですね?」
「その通りです。宜しくお願いします。」
「ラージャー。暫くお待ち下さい。」
5分程経過後
「N2038W。N2038W・・・・JAL○○。」
「JAL○○・・・N2038Wゴーアヘッド。」
「JAL○○です。そちらのメッセージ、中継完了しました。お気をつけて、さよなら。」 「電波がだいぶ弱いですよ。」
「どうも有り難う御座いました。お気をつけてさよなら。」
JAL、は私達と同じ方向に向かっていたのですが、この交信の時間の間で電波が弱くなってしまう程の、スピードの差をまざまざと見せられた出来事でした。
其れにしても、JALのパイロットの親切に感謝・・感謝でした。改めてこの誌上で御礼申し上げます。
ラジオの不調の原因は、ラジオの電源装置の端子の、半田付けの不良で電源電圧の低下でした。
ちなみに、私は電機屋のおやじです。
「お前、電機屋で良く食ってるなー。電機屋止めちゃえ。」と、大将のきつーいお叱りを戴きました。
私の:ドジ:った話と、親切なJALのパイロットの話でした。ハイー。

  その2・チノ空港の管制官に感激した事
私が、あの超自惚れ屋のホーサム教官に訓練を受けて、ソロフライト(単独飛行)のサインを貰った時、何時もお世話に成って居る、チノ空港の管制塔にアイスクリームとドーナツをコンビニで買い込んで、訪ねた時の事です。
今迄のお礼と、これからのドジを想定して、一言挨拶しようと思ったのです。
この頃は、相手の言う事が、有る程度理解出来る様に成っては来たが、それはフライトする為の、専門用語だけです。
増して通常会話で、相手が言って居る事に対しての受け答えが出来る程には成っていないのに、相変わらずノー天気な:とおるちゃん:は行けばどうにか成ると思い込み、図々しくも管制塔を訪問したのでした。

  日本と同じく、セキュリティが厳しく、入り口でインターホーンの釦を押して、自分の姓名を名乗り、訪問の目的を告げました。
ドアのロックがリモートでリセットされ、「カミン、プリーズ。」
5階のタワー迄、螺旋階段を昇っていって、ドアーを開けました。思わず「こんちわー。」日本語がで出てしまった。
タワーに居た4人が一斉に日本語で「こんちわー。」大感激でした。
身振り手振りと筆記の会話が一時間程続きました。
今までの英語の下手さと発音の悪さを詫びたら、この空港には大勢日本人の訓練生が来ているので、全然気にして居ないお前の英語は良い方だと、:よいしょ:をしてくれた。
すっかり気分をよくした私は、リラックスして、「これからもドジをするかも知れないのでよろしく」と言ったら、「自分達の仕事は、空中に居る飛行機をいかに安全に航行させ、いかに安全に着陸させるかが使命なのだ」と言う。
「空中でトラブルに遭った時のパイロットの気持ちは充分解る、増して訓練中の日本人パイロットだったら、パニックになってしまうだろう。」
「そんな事になった時は只一言:ヘルプ:と言え、そしたらこの空港はオールクリアーにしてやる(他の飛行機をこの空港の管制圏の外に出してしまう事)」  
「この空港は、お前一人のものだ。」
「どの方向からでも良い、上手くランデング(着陸)しろ。」と言う。
この空港には、滑走路が二本あるので、4方向から着陸する事が出来る。
「お前の声は、このタワーのスタッフ全員が解っている」と言ってくれた。 何の事は無い、下手な英語と下手な発音なのでしっかり私の声を覚えて居てくれたわけです。
それと、「わざわざ挨拶に来てくれて本当にうれしい、礼儀正しい日本人」と言って全員が握手してくれた。
「これからも、時間があったらアイスクリームを持って遊びに来てくれ、手ぶらはだめだ」と言って、ユーモアたっぷりで別れて来た。
 久しぶりに、餓鬼の頃、ジヨンウエイン主演のカウボーイ映画を見た様に、ヤンキー魂というか、西部魂と言えば良いのか?を見せ付けられた、本当に心が和む一時でした。



クインエアーと言う飛行機(女王様) ビーチ65ーB85
米国陸軍の要求に依って開発した兵員輸送用の双発機を民間用に改めたモデル・ビーチ65のバージョンアップ型。
米国ビーチ・エアークラフト・コーポレーション社・製造
全幅 15、32M
全長 10、82M 
全高 4、33M
最大離陸重量 3、991kg 
乗員 1名〜2名
乗客 10名
発動機 レシプロ 380hp 2機
実用上昇限度 8、169m
航続距離 2、441km
燃料 829 L



零戦と言う飛行機とは。
旧日本海軍の戦闘機で、当時、日本の航空技術の粋を集めて完成させた世界に 誇るレシプロ単発エンジンの傑作飛行機です。
此処にそのプロフィールとエピソードを紹介します。
1・主要諸元。 (五二丙型)
全長  9.121M     全幅  11M
全高  3.509M 全備重量 3,150kg
エンジン 栄 三一型 一機
空冷星形 1100HP


2・零戦に関わった空の英雄達。
私の知って居る限りだけを書きます。
(1)零戦の銘パイロツト・坂井三郎氏
生き残りの零戦パイロットでは超有名です。
坂井氏の詳しい事は、坂井氏の著書を読んで頂く事が一番です。私も何冊かを大変興味深く読ませて頂きました。

(2)はじめに・の部分に出てきました、私の父の友人の田中氏
私が、せがんで聞かせて頂いた中に、実戦の話が幾つか有りました。
その中の一つを、思い出して書いてみます。
場所は忘れてしまったが、一つの攻撃作戦を終わって、味方の集合地点に行ったが、味方機は一機も見あたらなかった。
帰投の為の燃料を計算して、限度近くなったのでホールドを止めて、自分の基地の方角へ機首を向けた。
一分も経たない内に突然雲の中から、敵機が一機降りて来た。
味方の攻撃が終わる迄、雲の中に退避していたのだ。
お互いに、真っ正面だった。敵機は、すぐに機銃を撃って来た、しかし、距離は離れ過ぎて居る。こんなに離れて居ては、当たる筈はない。
敵は、突然真っ正面に零戦が現れたので、相当焦って居る事が解った。
随分無駄な事をすると思った。此方は、敵の飛行場を攻撃した後なので、残りの機銃弾は少ない。
敵は、ずっと撃ち続けで居る。真っ正面なので、あっと言う間に距離が迫って来る。
このままでは、何時か敵の弾が当たるだろう。しかし、此方は燃料も機銃弾も限界に近いのだ、無駄には出来ない。

  一か八か、賭けて見よう。敵は、恐怖で上か下へ回避するだろう。
その時が、攻撃の時。敵が、腹か背中を目の前に晒すのだ。仕損じる筈は絶対無い。
このチャンスを外せば、戦闘が長引き、燃料も弾も尽きて仕舞い、自分の基地に帰還する事は出来ない。つまり負ける事になって仕舞う。
恐怖が無いと言えば嘘になる。根性を据え付けて、敵が回避するのをじりじりしながら待つ・・・2秒・3秒・5秒敵が腹を見せた。
機銃の発射ボタンを押す。7、7機銃の反動振動が軽く身体に伝わって来る。操縦桿を前に倒して、下方に回避する。
愛機を捻って、後方を振り返る。同時に敵機が炎を上げるのと、爆発が同時だった。
自分の判断が正しかった。
基地に辿り着いたら、整備兵が燃料が5分、機銃弾は、18発残ってるだけと報告して来た。

(3)五十嵐氏    福島県会津出身 
私の御得意先の東北電力に勤務して居られて、今はリタイアしてしまった。
仕事の関係で出合った方でしたが、本当に豪快な人でした。
その当時の私は、今程、零戦にのめり込んで居なかったので、今思えば零戦に関する事を、もっと一杯聞いて置くのだったとくやまれてなりません。
五十嵐氏が、豪快だった一番の印象を一寸紹介してみます。

 私の仕事は、水力発電所のダムがほとんどなのです。その時、五十嵐氏が阿賀野川の新郷と言う、大きなダムの主任技術士で勤務していました。
ダムには、多くの塵芥が流れ着き、発電機の効率を悪くしてしまいます。この為、発電機の取り入れ口には、塵芥が発電機吸い込まれ無いように、スクリーンと言う塵芥除けが取り付けて有ります。
塵芥が有る程度、スクリーンに付着するとセンサーが働いて、除塵機と言う機械が自動的に、働いてスクリーンから塵芥を取り除きます。
しかし、塵芥が一気に押し寄せる事が有ります。そんな時は除塵機では塵芥は、取り除けません。
増して、発電機が出力を大きく出している時は、発電機が吸い込む水圧で塵芥がスクリーンに張り付いて仕舞い、どうしようも無くなってしまいます。
そうなると、常駐の人夫の出番となって人手で塵芥を取り除きますが、 何しろ、発電機に吸い込まれる水圧の力は、人間の力では、手に負えないのです。
他のダムでは、大抵、発電機の出力を下げて塵芥を取り除きますが、五十嵐ダム主任は違います。
発電機の出力を下げるのは勿論、取水口の反対側に有る洪水吐きゲートを開けて仕舞うのです。
そうすると、水圧が洪水吐きの方に吸い寄せられて、塵芥が簡単にスクリーンから離れて仕舞います。
それも、中途半端じゃ無く、全開迄開けてしまうのです。大きなダムですので、放水する量はもの凄いものです。発電量に換算すると相当な金額です。
しかし、五十嵐ダム主任は、一向に気にしません。
「人間の力で苦労して、塵芥を取り除いても時間ばかり掛かる。その上に発電機の効率を下げたままの時間を延ばした方が損だ。」と言います。
「水は、上流からどんどん流れて来る、けちけちしなさんな。」と豪快に笑う。
「けちな判断が、命取りになる事をいやと言う程見てきたからなー!」
命を削って生き抜いて来た、一人の豪傑の生き様を、つくづく見せつけられた事でした。
それにしても、五十嵐氏が言った。
「けちな判断が、命取りになる。」と言った言葉は、今でもはっきりと印象に残って居ります。私の人生の中で、参考にさせて頂いている言葉の一つです。


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