零戦の復元に向かって

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第二部 100万円のクイーンエアーで太平洋横断(2)

 ハイウエイの途中で、水を補給したのは言うに及びません。ラジエーターに、穴が空いていたのですから。
家へ着き、大将の奥さんと子供達を紹介してもらった。大将は、コロナと言う近くの飛行場で、ヘリコプターのトレーニング中と言うことだったのです。
当時日本は、バブルの最盛期で、ヘリのパイロットが不足していた。だから、殆どはヘリパイを目指す生徒だったのです。
「喉が乾いたので、ビールが飲みたい。」と言ったら、迎えに来てくれた赤羽と言う奴が、冷蔵庫からバドワイザーを出してきてくれた。「次からは、遠慮せず勝手に飲んで下さい。後からその分補充して置いて下さい。」」と言う。                            
「この家は、そう言うシステムです。」と教えてくれた。全く持って、アットホームなスクールなのです。時差ボケと、空港での待ち疲れで猛烈に眠かったので、教官の娘のベッドルームで、大将が帰る迄眠らせてもらうことにした。

 喉の乾きと、空腹で眼がさめた。一瞬の間、何処に居るのかわからなかった。
ダイニングルームの方から、何やら賑やかな話声がする。起き出してダイニングルームへ行った。テーブルの上座に、偉そうに:でん:と座っている奴がいる。これが大将だなと思った。
しかし、どう見てもパイロット・それも教官と言うにはには、私のイメージからは程遠いのです。
外観で判断してはいけないのは解っていてもイメージが涌いてこないのである。首は短いし、足はもっと短い。どう見ても、その辺の百姓のお父っつぁん(こんな表現を使ってはいけません)を、若くしただけなのである。

 これが、見かけで判断した私の大きな間違いであったことを、次の日に、まざまざと見せられたのでした。
一言で言って:凄い奴・とにかく凄い奴:です。翌日、飛行場へ行って驚いた。大将一人に、生徒が私を含めて9人も居るのです。
ヘリ(ヘリコプターの事です。これからもよくヘリと出て来ます。)が7人、固定翼が私と山形出身の池田さんの2人。一人でどうやって教えるのだろう?あぶれた生徒達がうようよ、うろうろなのです。
当然、新入りの私にトレーニングの順番は、すぐに来るわけはありません。ヘリパイを目指している赤羽に、トレーニングの最終段階の、ジェットヘリでのトレーニングの順番が来ました。
5人乗りのジェットレンジャーと言うヘリです。
大将が、あぶれている生徒に「後席に乗れ。」と言います。
真っ先に私を指名してくれました。ヘリに乗るのは久ぶりです。それも、ドアーは全てフルオープン(ドアを外してしまう事)です。普通の人は恐怖で嫌がりますが、私は嬉しくなってしまいました。
トレーニングの内容は、一時間の間、オートローテーション(エンジンを切って落下のエネルギーをメインローターに貯めて((メインローターのピッチを−にする))、降下、そして着陸する直前に、このエネルギーを利用してメインローターのピッチをプラスにして軟着陸する。ヘリに取っては最も重要な科目です)だけです。

 生徒に取って、教官に取ってはもっともっと緊張の連続です。こんな重要で、ナーバスなトレーニングに、アメリカ人の教官は、絶対にトレーニング中の生徒以外の人間は乗せません。
トレーニングの最後に教官が、トレーニング中の赤羽に、「操縦竿から手を離せ。」と言って、自分で操縦を始めた。                 
「何か、やるな?」と思った。
ファイナルアプローチ(最終進入)に入った。エンジンを切って、ピッチを−にした。
オートローテーションだったのです。それも、フルオートローテーション(最後迄エンジンを切ったまま)である。
その上、ヘリパッド(ヘリコプターが着陸する場所で、コンクリートの地面にHのマークがしてある)のど真ん中に、殆どショックも無く、しかも、満席でのランデングだったのである。
まるで、「これが普通なのだ。」と言う態度なのです。同乗した、他の生徒にそっと聞いてみた。
「何時もこんな事やってんの?」って。そしたら返事は、「もっと凄い事をやります。」だって。
この、もっと凄い事と言うのは後で書きます。
又々、見た目で人は判断出来ない事を、痛切に知らされた事でした。
そんな事が、5日続きました。なかなか、自分のトレーニングの順番が回って来ません。
辺りを見回してもそれは解りました。あぶれて居る生徒達がうようよですもの。
大将に、教えて貰いたい気持ちは変わらないが、何時になるかは解らない。時間が有り余っているのではないのだ。

  夕方のミーティング・・・と言っても皆で飲むだけなのですが。(飲む量が普通で無いんだ・これがー。)後で出て来ますが、この反省会?しごき会?が笑っちっゃいます。
その時、「何時までも乗れないなら、一度日本へ帰って出直したい。」と言った。大将も、大分困った様で、「折角此処迄来たのだし、もし良かったら教官は俺で無くても良いか?」と聞いてきた。
それは:大将に教えて頂く事が出来ない:と言う事なのだ。
暫く考えた。俺が無理押しすれば、今あぶれている連中が益々あぶれる事になるのです。
ライセンスを取るのが、第一目的なので不承不承承知しました。
そんな訳で、大将の知人の、アメリカ人の教官に教えて貰う事に成りました。
これが又、色々有りまして。(私の、パイロットライセンスへの道のりってのは、大変な苦労の連続だったのです。一部の人々は:殆ど楽しんで来たんだ。:としか思ってくれてない。が、本当はそうではないんですよね。今だから言えるって事が一杯ありますもんね?これも、苦労の一つだったのです。)
アメリカ人の教官・・・ホーサム何んとかガットーって言うんです。殆ど、アラブ系のアメリカ人でした。                       
 このホーサムってのが、リキュールが一切駄目。食い物ってのがビジタブル、肉は鳥肉だけ。時間が来るとアラーの神に向かって拝んじやう。
「馬っ鹿がー?大事な客の俺様を前にして何やってんだ。」競争馬のアラブ系だったら、かっこ良いのですがー。
私の朝飯って言うのが、ビールなんです。(缶ビールが1〜2本)
朝飯食って?飲んで?飛行場へ、鼻歌混じりの:ルンルン:気分で行く。
「グッドモーニン。ホーサム」
「グッドモーニング,サトー」
ホーサムめ、眉間に皺を寄せて嫌々ながらの挨拶です。          
なんだ?こいつめ、「俺様は、お前の上品な由緒有るお客だぜ。もっと嬉しい顔をしろってんだよ!」英語で、すらすらっと言えないのが悔しいねー。
ホーサムめ、覚えたての、下手な日本語で「オー、ノー、サトー、コノ:スメル:ノーグッド、オサケダメネー。」
「ノー、ノー、ジスイズ、マイブレックファースト。ドーユー、アンダースンタド?」
「オー、ノー、サトー、ユーァクレイジィー、トーデイィズトレーニング、ストップ!」
身ぶり手振りと、英語の筆記でのやり取りが、約一時間。
「お前なんかに乗って貰わなくてもいいんだよ。ログタイムが欲しいだけなんだ。俺はソロ(一人)で行くぜ。」
ホーサムめ、飛行機の鍵を渡してくれません。
「行くのか?行かないのか?はっきりしろ!」
ホーサムめ、渋々鍵を渡しながら「メイク、プリフライトチェック(飛行前の点検)」だって。
こんな事が、毎日続きました。

 これでも、なんとかライセンスが取れたって訳では無くて、このホーサムの馬鹿奴と私が、その後も色々有ったと言う、とんでもない奴だったのです。   
例えば、こんな事が有りました・・・
トレーニングの中の、タッチアンドゴー(着陸して又直ぐに離陸する事)の時、飛行機を滑走路上に上手く持って行って、車輪が接地する直前のフレアーを掛ける(少し上げ舵を打つ事)、一番大事で、尚かつ飛行機の操縦では一番美味しい事を、いつの間にかホーサムが自分でやってしまうのです。
今、自分がやろうとして、タイミングを伺って居るのに・・・馬鹿がー!教えて居る生徒にさせないで、自分でやって・・・生徒が覚えらるかー?
それも、馬鹿がタイミングを間違えて、早めにフレアーを掛けてしまうので、ドッスンとハードランデングしてしまう。それでも、俺の操作が下手だとぬかしやがる。
:プッツン切れた:俺は、ある時操縦桿を、馬鹿には感ず付かれない程度に押さえ付けて置いて、そろそろ馬鹿がフレアーを掛ける瞬間を狙って、一気に離した。
案の定、俺が押さえて居た操縦桿を馬鹿が引いたので、必要以上にフレアーが掛かってしまった。、飛行機は、壊れそうな程のハードランデングになってしまった。
勿論、馬っ鹿めー、目ん玉ひん剥いて、俺様にくってかかって来た。
その時俺は、腕組みをしていて、馬鹿に向かって言った。
「俺は、操縦桿にさわって居ないんだよ。今の下手なランデングはお前がやったんだ!俺様の操縦の大事なタイミングに、余計な手を出すんじゃ無い!」
「生徒に操縦させないで、お前が悪い操縦の見本を見せてどうすんだよ!」
「今のはなー、お前が余計な事をするとどうなるかって事を、教えてやったんだ。良く覚えて置けー!」
ホーサムめ、俺の顔を睨み付けて。
「私は、今まで30人以上の日本人に教えて来たが、みんな大人しく私に教わって来た。お前の様な生徒は初めてだ。」と、のたまう。
「馬っ鹿がー!今までのお前は、運良く大人しい生徒ばかりに出会って居たんだ。」
「本来の日本人てのはよー、馬鹿には媚びないんだよ!お前なー、神風特攻隊を:しっとるけー?:日本には、俺様みたいに威勢の良いのが、一杯居るんだ、覚えとけってんだー!」
此処までの喧嘩に、時間が掛かるのなんのって、英語ですらすらっと言いたかったねー!
そんなこんなで、とうとうプッツン切れてしまって、馬鹿で自惚れ屋のホーサム教官を:くび:にしたのです。

 何処迄も、馬鹿で自惚れ奴のホーサムは。「自分は最高の教官で、自分から離れた生徒にライセンスは取れない。」と、ぬかしやがった。
「オオバッキャロー。」「俺はお前に教えて欲しくてアメリカ迄来たんじゃ無い。:ヤナギダ・カズ:(大将の事)に習いに来たんだ。」「お前は、俺のログブック(飛行記録)の時間稼ぎの為に、この俺様の脇に、同乗させているだけなんだ!間違えるんじゃ無い!」
その場でホーサムにギャラを払って、「バイバイ。」
ホーサム奴。:鳩が豆鉄砲食ってキョトン:。
そのまま大将の前へ行って、頭を下げて言った。「たった今、ホーサムをクビにして来たんで宜しく。」って。
大将、俺の顔を見て呆れた顔で、「あんたは大丈夫だと思ったのになあ。」だって。
今迄一度も、自分の生徒を外人の教官に任せたことは無かったそうでした。
仲間の生徒にもこの事を言って、5時間だけ最後の仕上げを、大将に乗って貰う事を頼んだ(酒で買収したってのが本当の話しで・・・)
俺に取っては、この5時間のトレーニングが後々迄、大変貴重なものになった。(エアーワークばかりだったが。)

 そんな訳で、私の血の滲む様な?努力と忍耐?が実って。(:大将の教えが良かったから:と、お世辞でも良いから書きなよ)ライセンスを手に、日本へ帰る事ができました。有り難う御座いました。
:出来の悪い生徒程、仕上がった時はかわいいんだってよ。・・・だったら超出来の良すぎた俺は、憎ったらしいってか?:
本題の零戦の話に到達する迄には、イントロが長過ぎますが、もうほんの少し我慢して下さい。
皆さんに、散々迷惑を掛けながらライセンスを取って・日本のライセンスに切り替えて・自分の飛行機を買って・どうにかこうにか、日本で飛んでいました。
そんな時期、私の飛行機(パイパーアロー)のプロペラーが、カレンダータイムアップ(規定の時間が来たらオーバーホールしなければならない。)になったのです。 


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