零戦の復元に向かって

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第二部 100万円のクイーンエアーで太平洋横断(3)

 日本でオーバーホールするよりも、アメリカでオーバーホールする方が遥かに安いし、期間は、現地に持ち込めば10日間で済む事を、大将から聞いていたのです。
これも、大将がアメリカに住んでいる事と、色々な事に、都合をつけて頂けるおかげなのです。
大将に連絡を取って、俺のプロペラーを持って行って、オーバーホールして頂く事の確認を取付けました。(勿論、向こうのファクトリーに頼むのです。)
一人で、重いプロペラーを担いで行くのは大変なのです。
私の友人の矢口(こいつも飛行機:バカ:で、ウルトラライトのケストレルとか言う飛行機で、やってはいけない宙返り、それも連続でやって、高度が足りなくなって地上に激突して、平成5年10月10日に死んじまった。)に、「アメリカに行かないか?それも経費は全て私払いで。」と持ちかけたら一発でOK。
それでも、アメリカでオーバーホールした方が安いんです。そんな訳で、二人で大将の家へ行った時の事です。

 その時は、生徒が一人も居なくて。大将の家で三人で酒を飲みながら、(この時、柳田婦人は5人目の子供の出産の為に、実家の宮城県の鳴子に帰って居なかった。だから、ろくなツマミも無くて惨めで、酒だけが大分進んでしまった)飛行機談義をしていたのです。
「大将は、空に浮かんで居る時は凄い奴だが、金銭に関しては全然音痴な人だ。」と言ってしまった。(これは、俺達、柳田スクールOBは勿論、飛行機仲間はみんな感じている事です。) 
大将は、自他共に有名な:零戦バカ:なのです。とにかく:零戦にいかれて:しまっているのです。
世界各地・特にパプアニューギニア、マーシャル、ミクロネシア等の、南方諸島に眠って居る零戦を見つけ出して、それを実際に飛べる様にレストア(復元)して、その飛行機で日本に飛んで来て、日本各地を飛び回るのが夢なのです。 大将は、その為に零戦の色々な情報・資料・そして豊富な知識を貯め込んでいる。(「金も貯めろ。」と、言いたいが、その金儲けが下手な人なんだ。) この夢は壮大である。がー、金はもっと壮大に掛かるだ。(何しろ貧乏人の集まりなんですから) 
「夢で終わらせたく無いなら、目標に一歩でも近づく為に、少しでも良いから金儲けの事を考えたら。」と言った。

  いつもの事ながら、その時も「俺は金の為には動かない。」等、とえらそうな事を言っていた。
でも、「金が無かったら何も出来はしない。少しでもチャンスが有ればやって見ても悪くは無い。」と言った。
今迄も、何回かレストアのチャンスは有ったのです。が、それは何時でも紐(スポンサー)付きばかりだったんです。
その紐は,大将の能力を利用するだけ利用して、自分だけが、金儲けに走ろうとするのが多すぎて、大将は嫌気をさしていたのです。
「それだったら自分でやったら?幾らかでも自分の能力で出来る金儲けをやってみた方が良い。」と言った言葉が、大将の心を少しは動かしたみたいだった様です。
それで、「大将だったら、出来そうだと思う金儲けの仕事を、俺が見つけたらやるか?」と聞いたら、「やる。」と言う事でした。
俺の言う事に:ウン:と言ったのはこの時が初めてだったのです。(頑固な奴;)

 そんな事があって日本に帰って、8月中旬のある日。
仙台空港に、長期間駐機したままになっていたクイーンエアー(JA5220)と言う飛行機(ビーチクラフト社製のレシプロエンジン双発)があった。
その飛行機が、<100万円で売りに出た。>と言う情報を、俺の飛行機(パイパーアロー)を、面倒見てくれている整備士の金子ちゃんが、俺の耳に入れてくれた。
:これはチャンス!:早速ロスの大将の家へ電話を入れました。
この時、ロスと日本との時差の事が、俺の頭の中からすっかり消えていた。
マイナス16時間のズレを忘れて電話を入れてしまっのだ。大将、出る訳がありません。(出ない方が良かったのだ、出ればドヤされるに決まっているのだから。)ロスは真夜中なのです。
改めて時間を調整して、再度電話を入れてクイーンエアーの件を話しました。
大将、即決で「すぐ買え。」との事になった。

 しかし、大将、金が無い。「取りあえず、お前が払え。」と言う事になってしまった。しょうが無い、事の始まりは俺なのだ、買う事で話しは決まってしまった。
話は簡単に決まったが、それからが大変: 高々100万円の飛行機:買うのは簡単だが、それを、アメリカへフェリー(空輸)しようと言うのだからー。
3年間も眠っていたクイーンエアー(女王様)を蘇らせて、飛ばそうって事です。話しは簡単でも、実際にやる事はとてつも無く大変なんです。
かと言って、この女王様をこのままにして置けば、この女王様は最終適には、スクラップになってしまう運命だったのです。
スクラップにするには忍びない、本当に性能の良い飛行機なのです。(燃料消費量の多いのが欠点です。燃料の値段が、日本はアメリカの4倍なのですから。)
この女王様を蘇らせて、アメリカへフェリー(空輸)して、アメリカで売れば、「安くても600万円にはなる。」との、もくろみだったのです。がーと言う話しは:アートーデー:として。

 とにかく、これで俺達プロジェクトの、零戦への第一歩を踏み出したのです。(大将にとっては第一歩では無い、今まで散々、うろついていたのですから。失礼、失礼!)
随分長ーい、長ーい、イントロでした。
女王様を、アメリカへお連れする仕事がこれから始まります。(結局の話しは、出戻りですがね!)
3年前に、女王様が眠りに入る前に機体のトラブルがあったそうだった。しかし、オーナーが飛ばすつもりが無かったので、そのままになっていた箇所が幾つかあったと聞いていました。
女王様の管理をしていた、国際航空輸送(株)の整備士の鈴木氏に聞いて、女王様のカルテをまとめて大将に送った。
大将が、カルテの内容のパーツを持って、平成5年10月5日に日本へ着きました。
それからが大変!もー大変の一言に尽きます。
何しろ、3年間も眠っていた飛行機を、眠りから覚まそうとするには、それなりの手続きと、手間が掛かるのです。

 手続きから始め、平行して整備に掛かるのです。
先ず、女王様の国籍を変えなければならない。登録NO・JA5220を、アメリカの登録ナンバーN2038Wに変えることから始まるのです。
これが、文章に書けばたった二行少々で済みますが、実際の仕事になると大変。
日本の旧所有者の譲渡証・航空局への抹消登録・アメリカの登録ナンバーを取る事・その他、諸々有るのです。

 書類の手続きだけでも有に、10日以上の期間が必要なのです。
航空局は、東京の霞が関にあるのです。往復の交通費・印紙代・書類代等、計算したら切りがない。
それに日本は、書類、書類・・・書類を書けば直筆の名前を書け、名前を書けば印鑑・・・印鑑の国なのです。サインでは駄目なんですから。
大将は、アメリカ流が身に着いて居るので、(アメリカはサインでOK)怒る・怒る!
以上の手続きを、全て大将が、怒りまくりながらでも自分でやったから安く上がったのです。
これを、代理店とか使用事業会社に依頼したら、とてつもない値段を取られてしまうのです。
そんなこんなで、女王様の整備が始まった。

 普通日本では、資格を持ってる整備士がやらなくてはいけない事になっているが、アメリカでは自分で整備して、資格の有る整備士が認めて、その整備士がサインをすればOKなのです。
それでも、普通の人では余程の知識と、技術が無ければ、女王様の整備は到底出来るものでは無いのです。それを自分で整備しようとするのてす。
アメリカで、大将が整備しているのを、何回かは見ていました。それでも高々、自分のセスナとヘリ(ベル47G)位しか見っていなかったのです。
相手は女王様、双発の飛行機なんです。
勿論、整備士の金子ちゃんが張り付いて、私も時々手伝いをしたんですが。

  北海道の帯広の近くに、豊頃と言う飛行場があって、10月10日がそこの飛行場のオープンデーなのです。今年もオープンデーに招待を受けていたので、「9日から11日迄豊頃に行って来る。」と言ったら、大将「俺も行く。」と言うんです。
女王様の整備だけでなくても、やる事が山程有ると言うのに、何考えてんだと思った。
でも、大勢で行った方が楽しいし、豊頃に集まる人々も、大将を知っている人が大勢集まるので、俺のパイパーと言う飛行機で一緒に行く事になりました。

 10月10日、豊頃飛行場のエアーショーは盛大に終わりました。
その夜は近くの温泉宿に泊まり、空の仲間と飲んで女王様の事で花が咲きました。
翌日、目覚めてから誰かがテレビのニュースで、矢口の飛行機事故を見て私達に知らせに来ました。まさかー、私には信じる事が出来ませんでした。
今ここで、矢口の事を書くと涙が止まらなくなってしまいそうなので、勘弁して下さい。
しかし、それは事実でした。
翌日は暗い気持ちで仙台へ帰り、次の日大将と他の飛行機仲間と一緒に、矢口の焼香に行きました。本当に、本当につらい出来事でした

 翌日から11月11日迄、大将は、毎日女王様の整備に専念していました。
勿論、整備士の金子ちゃんも。私も、時間が許す限り手伝いました。
整備と言っても、飛べる様にするだけではないのです。
例えば、操縦席以外のシート(9人分の客席)を全て取り払って、そのスペースに燃料の増漕タンクを取付け、その燃料配管を改造しなければならない。その他、諸々あるのです。
何しろ、15時間ノンストップで飛ばなければ、ホノルル(ハワイ)〜オークランド(カルホルニアのサンフランシスコの近く)間は届かないのです。
途中着陸出来る場所が無いのです。

 11月14日に、「宮崎県の、都城市でエアショーがあるのでサポートしてくれ。」との依頼が、前からあったので。「11月12日から14日迄、俺のパイパーで宮崎へ行って来る。」と、大将に言ったら、又々、大将。「俺も行く。」と言う。
マジかよー「:女王様の試験飛行はまだ一度もやってないんだよー:。やらなきゃならない事がいっぱいあんでしょう?大将。」
大将言う事がいいよ。「皆が俺を待ってるんだ。」だって。
「整備をしながら時間を見計らって、空の仲間達に連絡してたんだ。」って言う。やる事に抜け目が無いねー。「:整備も抜け目無くやれよー、手抜くなよー:」

 11月16日、女王様の整備が最終段階になり、この日3年ぶりに、女王様が空に浮かぶ試験飛行を行った。若干の直すべき所が出て来たが、大きな問題は無かったようだった。
この日の試験飛行が終わって、大将が突然、「あんたが一緒に行くんだ。」と言った。
俺は自分の耳を疑った?。
全然俺は、女王様とご一緒する事なんて予定はしてなかったのだから。
大将の口説き台詞が良かったねー。
「俺の相棒は、最初からあんたしか予定してなかった。」だってー。
そーゆー事には不器用な大将が、良くもこんな甘い台詞。何処から出るんだろう。こんな甘いロマンチックな台詞で、こんなタイミングで口説れたら、女はイチコロだよねー。
それ迄は、「一緒に行きたい奴は、幾らでも居る。」と言っていたのにー。
それからの私は大変だった。心の準備もそうだが、その他の準備はもっと大変だった。
一か月近くも仕事を抜け出す事になるのだから。それでなくても、社員からは、:飛行機バカ:と見られているのだもの。


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